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三水会 講演レポート#6

2025年03月21日

三水会とは40年超、月例で活動を続けている講演・懇親会です。講師は様々な分野で活躍されているソフィアン。どこで、誰が、どんな活躍、取り組みをしていているかをご紹介しネットワークを繋げていこうというのがミッションです。三水会での講演内容をレポートさせていただきます。


2024年9月17日(火)開催の三水会のレポートです。@ソフィアンズクラブ


 普段、様々なエンタテインメントに接していても、その中で活躍される演者さんがソフィアンかどうか、知っている方は少ないと思います。関連する業界にいてもそのような目線で観ることはあまりありません。今回、ご紹介するのはメディア業界と近いけれど、組織の力ではなく個人の強い意志と自己研鑽でしか到達できない芸能の世界で活躍されているソフィアン、駒塚由衣さんにお話をお聞きしました。


◇テーマ
「それはジーザス・クライスト=スーパースターから始まった」  ~芸能の世界、あれこれこぼれ話と人情噺~

     

◇講演者ご紹介

駒塚由衣様(1972年上智大学文学部史学科入学)女優・声優としてCESエンタテインメント所属。
 駒塚さんは大学2年の時に「劇団四季」研究生になり、1975年に「ジーザス・クライスト=スーパースター」で舞台デビュー。1981年「小さき神の作りし子ら」日生劇場主演の他、芝居、ミュージカル多数出演。プロフィール詳細は最後部でご覧下さい。

     

駒塚由衣さん@ソフィアンズクラブ(2024年9月17日)

□駒塚由衣さんのお話(抄録)
在学中に劇団四季へ!

 駒塚さんは文学部史学科の卒業。在学中から役者の道に飛び込みました。いろいろなチャンス、突然のご褒美や駄目だしの連続であったけれど、いろんなご褒美があったので続けてこられたと役者をやってきた50年を振り返ります。
 駒塚さんは築地生まれの築地育ち。築地場外で100年以上続く老舗、鶏問屋の一人娘。商売柄、歌舞伎座、新橋演舞場などに出入りしていて、子どもの頃から舞台を観て育ったものの、役者になるなんて許されない家でした。河岸は大変な仕事場で料理屋さんが閉まってから注文取りの電話をして男達が荷出しを始める翌朝5時前までに帳面に残さなければならない。このため女性達は2,3時間しか眠ることができない。故に一人娘は婿を取ってお店を継ぐという道しかありませんでした。そんな中、子どもの時分に日生劇場で観た寺山修司作「裸の王様」「王様の耳はロバの耳」という子供向けのミュージカルの中で「幕を開けよう!」という歌を聞いたとき、それは刺激的な出会いだったそうです。その頃から役者への関心が大きく膨らんでいくことに。
 上智に入ってクラブ活動は「劇研」。当時は別役実さんの作品などを上演していたそうです。卒業したら家の事情で芝居の世界にいけなくなる。行くなら今だと思ったのが2年の時。本当は文学座か劇団円に入りたかったのですが、当時は劇団の研修費が年間80万円程かかるのでとても無理。そのとき劇団四季は浅利慶太さんの気まぐれで3年間、研修生は無料!しかも史学科、西洋史の磯見先生が遠藤周作さんたちと主宰していた劇団樹座(きざ)とご関係があり、それが四季に繋がりました。研修生になるのに倍率は260倍!1次、2次と受かり最後に残ったのはたった3人。小野洋子さん、岡まゆみさんと私。後で知ったことですが、浅利さんは面接の瞬間に採用を決めていたとのこと。面接での志望動機は「大学で論文にフランス演劇史を書きたい。フランス演劇の四季に入って両方、勉強したい」などと応えていたのですが。
 一方で家族は劇団に入ることに当然、怒っている。口も聞いてもらえない中、叔母が取りなしてくれて、大学卒業を条件に許されました。当時の四季には日下武史さん、三田和代さん、鹿賀丈史さん、市村正親さんが先輩でいらっしゃいました。劇団に入る条件が大学を卒業すること等と言っているから、周りからは「みんな、芝居に命かけているんだ、甘いぞ」などと言われ、続かないと思われていたようですが、大学での勉強はいまは劇団では役立たないが将来、役に立つと自分に言い聞かせていました。とはいえ心細い時、つらいときには仲間を探してキャンパスや学食をうろうろしていたことを思い出すそうです。


四季で学んだこと

 駒塚さんは、浅利さんは天才と狂気の面を持っていたと振り返ります。そのような浅利さんに言われたことが3つあります。一つは「継続こそ力なり」そして「自分の時計を持て」。私は歳を上に観られることが多かったため、浅利さんは駒塚は大人の役しかできない、四季は子ども向けのミュージカルが登竜門だから大人の役で初舞台を踏むには2,3年かかるかもしれない。初舞台が遅れ取り残されたと思うことがあるかもしれないが、役者は人によって時間が違うから自分の時計を持つようにと。
 もう一つは「役者仲間でなく、他の世界の人と付き合え」。付き合った人達に演劇の面白さを知ってもらって、劇場をお客さんで満杯にし続けることが大切だ。「チケットを買っていただけますか?」、このことに誇りを持て、その作品を売れ!当時は研究生で30枚、正劇団員は100枚のチケットを売らなければならない。これはその作品に出てる・出てないは関係ない共通のノルマ。ジーザス・クライストが初舞台でそのときはチケットを売りまくった。稽古場にある一台だけのピンク電話にチケット売り込みで電話をする劇団員がずらっと並んでいたことをよく覚えています。


ジーザス・クライスト・スーパースター初舞台でのハプニング

 そして1975年、初舞台を迎えます。ところがジーザス・クライスト・スーパースターの初日の2週間前に主役の鹿賀丈史さんが風疹にかかったのです。風疹の経験のある者はいるか?ということで「私はやったことがあります」と言うと「おい!上智!」と呼ばれて、鹿賀さんの一番近く接する役に「抜擢」されたました。
 また、この初舞台の時、浅利さんから感想を言ってみろといわれました。私は中学高校がミッションスクールで聖書を毎朝、読まされてイエスの生涯がたたき込まれていましたので、イエスを持ち上げていた民衆までイエスに石つぶてを投げる場面で「私は石を投げられない。なんで全員が石を投げなければいけないのか分からない。ムチ打ちを無言で耐えているジーザスに信仰を感じた民衆もいたのではないか」と答えたのです。後で思い返すとぞっとしましたが・・・。浅利さんは「あした、何でもいいから思うようにやってみろ」といいます。翌日、私は舞台のセンターで兵隊の間をかいくぐってピラト総督に「助けてあげて」と叫んだのです。そうしたら浅利さんが「上智!面白いじゃないか。それでやれ!」と。そのくらい舞台の演出もフレキシブルでした。


セクハラとパワハラの嵐

 昔の劇団は他の会社同様、セクハラ、パワハラはたくさんありました。同じ演者から挨拶がわりにセクハラされることは笑い話。パワハラでは浅利さんの気を損ねるともう挨拶もしてくれない。浅利さんに「役者が芝居ができないということは、その役の心がつかめてないということだ」といわれ、別の役では人を包み込む役柄に「いつもニコニコしているけど、本当は心が冷たいんだね」と言われる。こういう言い方に心をやられるんです。だから。稽古場で気を失う人もいるし、私の場合、「赤毛のアン」の歌の稽古で一小節ずつダメ出しをされてブレスが入らなくなり降ろされ、3ヶ月も干されて激やせしたこともありました。しかし、続けてみないと人生はわかりません。主役の先輩女優さんが「私に何かあったらこの子(駒塚さん)にこの役をやらせて」と言っていた予言のような作品「小さき神の作りし子ら」。ある日、突然、「小さき神の作りし子ら」の稽古場にすぐに来いという連絡があり、行ってみると先輩がご病気で続けられなくなり、私が主演の「サラ役」を務めることになりました。赤毛のアンを降ろされていなかったら、この日生劇場での主役はなかった。どんなにつらいことがあっても先に行ってみないと分からないことがあるものです。宝塚のいじめのこともありましたが四季は浅利さんと役者一人一人の関係がきつくて、その分、役者同士がお互いにカバーするので仲がよかったという側面もありました。


四季を去る

 一時期には年間228ステージをやりました。午前中、夜と違う演目をこなし、土日は次の演目の稽古という過酷なスケジュールで体調を崩しても病院にも行けないという具合です。そのうち、各配役に予備含め役者が3人もつくようになり、自分の役を暖めることもできなくことができなくなっていました。体を壊して入院したときに私は初めてテレビドラマをちゃんと観て「日本人の役がやりたい」と強く思いました。これまで抽象舞台と外人役と動物ものしかやってきていないと気づき、辞めたいと思ったのです。辞めるときは辞めるときで大変でした。その当時は辞めるときは1年間休団で他の仕事ができないルールがあったのです。
 振り返ると四季でのご褒美は、まず入団できたこと。そして浅利さんの他人と付き合えなど3つの言葉、「小さき神の作りし子ら」をはじめ沢山ステージを踏み、芝居で生活できたことです。

 四季を去って初めて声優の仕事に挑戦しました。それはスピルバーグ監督の「E.T.」のオーディションで子供たちの母親役をつかみ、そこから声優の仕事が拡がりました。シガニー・ウィーバーやメリル・ストリープなどの役をやらせていただきました。その当時は声優事務所からの引き合いも多く、声優業で蔵が建つなどと言われていましたが、私は芝居やドラマでも活躍したいと思いました。
 一方、ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」の吹き替えをやっていたことがキッカケで松竹から舞台の話があり日生劇場での「宮廷女官チャングムの誓い」に出演することになりました。四季を辞めてもう日生劇場に立つことはないと思っていたのに波乃久里子さん、多岐川裕美さん、前田美波里さんといった素晴らしい皆さんと一緒に、もう一度日生劇場の舞台の真ん中に立つことができました。


江戸人情話との出会い

 2011年3月の東日本大震災が一つの転機でした。役者は台本、舞台、共演者などがそろっていないと舞台にならない。お笑いも落語も一人で演じることができるが役者はこういうときに現地に行っても何もできない。そこで一人でできることはないだろうかと。
 その当時、役者をやりながら築地で祖父母の住まいであった昭和26年築の古民家を料理屋にして鶏と野菜の店「鶏由宇」を切り盛りしていました。役者と店の女将をこなすのは激務でした。店の近くに芥川龍之介生誕地の碑があったこともあり、芥川生誕120周年として2012年に「藪の中」を七役一人芝居として挑戦しました。朗読と芝居を融合した新しい試みは営んでいたお店「鶏由宇」を芝居小屋にして1行いました。それが江戸人情噺に繋がります。その舞台を日活映画監督の藤浦敦さんが知り合いと観に来ていたのです。演目が終わるとその知り合いが「絶対に褒めないひとがあなたを褒めた」と驚いて飛んできたのです。藤浦さんは私のことを男も女も表現できる人と評価してくれました。藤浦さんは江戸弁の大家で歌舞伎役者にも江戸弁の指導をされていました。私も築地育ちだけど江戸弁ってなんだと藤浦さんに江戸弁を教えてほしいと頼んだところ、気軽に受けて下さいました。そして立川談志さんのために書き下ろした「妲己のお百」(だっきのおひゃく)をやってみなさいと言われたのが江戸人情噺との出会いです。藤浦さんは映画と平行して談志さんに請われて落語の新作を書かれていました。「妲己のお百」という噺は怖い噺なんですが、そこから江戸人情噺、19作品を芝居の合間に演じて今に至ります。

 お話の最後に江戸人情噺のさわりをお願いしようと思っていたのですが、残念ながら、時間がなくなってしまい、駒塚さんのお話はここまでとなりました。
 この後の質疑では役者をやっていると役を引き摺ることがあるので飲んで興奮を落とすというお話や、ジャニーズと一緒の仕事で徹底した仕事ぶりに頭が下がったというお話などがありました。
 残念ながら時間の関係で1時間ほどのお話となりましたが、まだまだネタはあるとのことです。またの機会をお願いしていますので次の企画をお楽しみに。


後締め・後日談

 駒塚さんは昨年11月7日から10日まで台東区千束で江戸人情噺「恋無終絵乃嶋噺 奥女中絵島の傳」(こいにはてなし えのしまばなし:作藤浦敦、花紋瑶)の口演を行いました。この三水会に参加された皆さんが聞きに行かれました。江戸の吉原界隈の風情ある場所でお聞きする大奥最大のスキャンダル、スリリングで艶っぽい噺にはまってしまいました。これからも機会があれば別の作品を聞かせていただきたいと思っています。
 
 また、年明け2月にはシアターカンパニーJACROWの舞台「おどる葉牡丹」(脚本・演出 中村ノブアキ)に出演。今度は現代、地方議員を支える妻達の話で登場人物は全員女性。高円寺の「座・高円寺1」で拝見しましたが、また違う駒塚さんにお会いできました。今後の公演は6月にはJACROWが大塚家具の騒動を描く「骨と肉」に出演されます。ご期待下さい。


◇講演者ご紹介(詳細)

 駒塚由衣様(1972年上智大学文学部史学科入学)女優・声優としてCESエンタテインメント所属。
 駒塚さんは大学2年の時に「劇団四季」研究生になり、1975年に「ジーザス・クライスト=スーパースター」で舞台デビュー。1981年「小さき神の作りし子ら」日生劇場主演の他、芝居、ミュージカル多数出演。詳細は最後にご覧下さい。
 その後、芝居では、今日本全国で上演されている堤泰之作演出「煙が目にしみる」オリジナルメンバーとして、礼子役を10年つとめたほか、人気の永井愛、桑原祐子、秋之桜子、中村ノブアキなどの作演出で話題の作品に出演しました。一方、松竹「チャングムの誓い」では、看板として、女官長役で、一番の悪役をつとめるなど舞台での活躍を続けています。
 TVは、NHK「平清盛」ほか。昨年は、大人の土ドラ、コミックで話題の「グランマの憂鬱」(東海テレビ、フジテレビ)に、レギュラー出演など多数。
 また、映画の声優として、シガニー・ウィーバーを持ち役とする他、メリル・ストリープ役、ターミネーター2の劇場公開版のリンダ・ハミルトン(サラー・コナー役)など多数の映画吹き替えや海外ドラマ声優として活躍。一昨年からはテレビアニメ「サザエさん」で、2代目お軽さん(お隣の伊佐坂さんの奥さん)の声も担当しています。
 2013年以降、プロデューサー、脚本家、落語作家、評論家の故藤浦敦氏に江戸弁の指導を願い出たのを機に江戸人情噺に世界に飛び込まれました。いまや、口演作品は立川談志師匠の演目「妲妃のお百」など19作品に及びます。
 駒塚さんは築地生まれの築地育ち。100年以上の歴史を持つ築地の老舗「鳥八」の一人娘として育ち、2000年からは女優業と平行して祖父母の「鶏由宇」を引き継いでお店経営にも携わってこられました。(お店は残念ながら2017年に閉店されました) 

文責:三水会幹事 黒水 則顯(1978文新)

駒塚由衣さん@ソフィアンズクラブ

2024年11月23日@ホテル座みかさ(台東区千束)

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