ヨゼフ・ピタウ先生
ヨゼフ・ピタウ先生への謝辞
1975年3月の学部の卒業式が構内の体育館で行われた時、ピタウ先生は私たちに学長式辞としてこう話しかけられました:「上智大学を卒業したからにはキリストに近づいてほしい」と。そして次のように話されました。不十分な記憶から再構成してみます。
「キリストは預言者でした。真理を語る人は、時の権力者からしばしば迫害されるものですが、どのような困難に逢おうとも真理を追究しなさい!キリストは王の中の王でした。王とは多くのものを所有する人のことです。持っている人は持っていない人に与えなければなりません(ここで「惜しみなく愛は与える」という聖書の一句を引用されたと思います)。自分の持っているものを与えなさい!キリストは司祭でした。ラテン語で司祭には、橋を架ける人という意味があります。異なる文化の人々との間に橋を架けなさい!」
ピタウ先生は、そのように私たちが世界に向かって羽ばたいていくことを力強く祝福してくださいました。先生から発せられた言葉は会場全体に響き渡り、式辞が終わると同時に大きな拍手と歓声が沸き起こりました。その時の感動が今も鮮やかに蘇ってきます。大学を卒業するというその日に改めて上智大学で学んだ意味が凝縮され、その場にいた全ての卒業生に強烈に意識されたと思います。先生の言葉は、それまでの私の人生の中で最も明快で迫力に満ちた美しい日本語でした。その後の人生を通じても、実に強いエネルギーを保ち続けています。今、私はさまざまな悩みを抱えている人々への心理療法やカウンセリングを仕事としていますので、ピタウ先生が私たちに託されたメッセージをいつも思い出し、日々の糧としています。あきらめずに希望を求めて、言葉によって働きかけ、孤立しがちな人々と関わりを結ぶこと。それを目標としています。私は学部に続いて大学院に進み博士課程にも在籍しましたので、振り返れば9年間を上智大学で学ぶことができました。ピタウ先生とは直接お話しする機会こそありませんでしたが、先生からいただいた学恩に深く感謝致します。
渡邉 勉(1975文教・心)
ヨハネ・パウロII世とバチカンにて
ヨハネ・パウロII世ご来校(1981年)
インドシナ難民救援活動街頭募金
ヨゼフ・ピタウ先生
履歴・職歴
1945年 |
イエズス会に入会 |
1952年 |
スペイン・バルセロナ大学卒業後、来日 |
1954年~1956年 |
栄光学園中学校教師 |
1959年 |
司祭叙階 |
1960年 |
上智大学大学院神学研究科修了 |
1963年 |
ハーバード大学大学院政治学研究科修了 |
1966年~1981年 |
上智大学法学部政治学教授 |
1968年~1981年 |
上智大学学長、理事長を歴任 |
1981年 |
ローマ教皇代理補佐就任 |
1992年~1998年 |
教皇庁立グレゴリアン大学学長 |
1997年~1998年 |
教皇庁立社会科学アカデミー会長 |
1998年 |
サルデーニャ教会大司教叙階 |
2004年 |
再来日、カトリック大船教会協力司祭 |
主要著書・論文
「日本の共産主義について」ソーシャル・アクション1962年
「井上毅と近代日本の形成」モニュメンタ・ニポニカ1965年、時事通信社1967年
「戦後日本の政治思想」ジャパニーズ・リリジョン1966年
「明治初期における日本の政治思想」ハーバード大学出版1967年
「日本立憲国家の成立」時事通信社1968年
「西欧文化と日本の近代化とのふれあい」福岡ユネスコ1968年
「日本の明日」インコントリ1971年
「日本における個人の価値の向上‐キリスト教の果たした役割‐」ジャパン・クリスチャン・クオリティ1973年
「福沢諭吉と私学理念」福沢諭吉協会1974年
「日本の社会文化史」編集 講談社1974年
「ニッポン人への熱い手紙‐若者と教育をみつめて」日本リクルートセンター1981年
「聖地アッシジの対話‐聖フランシスコと明恵上人」河合隼雄共著 藤原書店2005年
「愛ある生き方」海竜者2010年
「イタリアの島から日本へ、そして世界へ」上智大学出版2012年
Memories 恩師への謝辞