霜山徳爾先生
(1966年)
霜山先生との関係のユニークさと感謝
今考えてみると、霜山先生と私の関係の非常にユニークだったことと神秘的なほどに不思議だったことを思い出します。私は英文学科を卒業して、教育学科に入り、すぐ半年後にはアメリカに留学に行ったので生徒としての接触は短いのですが、どの教師よりも深く影響を受けたのでした。先生はもちろん授業では学者で博識であり、また、宿題もすごく多かったので、余り近づきたいとは感じませんでしたが、コンパや個人的な付き合いを通しては、人間味があり、ひとりひとりの生徒たちに強い関心を持ち、感激しました。
2年後に留学から帰って、あいさつに行って、就職のことを話していたら、知り合いの精神病院の院長に電話して下さって、その場で決まったのでした。だから昼間にはそこで働き、夜は国際部(後に比較文化学科)で教えていました。現在では特にその時に実際の体験が与えられたことをありがたかったとつくづく思います。その約2年後に結婚することになり、仲人を頼んだら快く引き受けて下さいました。その後、毎年の正月に我が家の家族を霜山家に一緒に訪ねていたので、すっかり親しくしてもらいました。おまけに先生の長男の娘さんと私の娘が同じ幼稚園に通っていて、時おり電車で彼と会っていたのでますます親しくなりました。1982年に私が病気になった時、東京医科歯科大病院に行って、検査され、手術を受けて入院したのも、学生時代に霜山先生と実習に来たことがあるということだけの理由でした。そこに入院していた間も先生は仕事と共にお土産を持って見舞いにしばしば来て下さって元気づけられました。退院後も本や贈り物を送って下さり、喜んでいました。1度だけ彼のクラスで私はアメリカで習ってきた心理療法について話したことがあり、わずかでもお返しができて良かったと思っています。最近では,亡御長男の夫人が私達が毎週行く松原教会に来て下さり、また、私の以前亡くなった親友の今年の追悼会で初台教会に行った時には先生の奥さんにも会い、今でも関係は続いているのです。こんなにも恵まれたことは人間の力だけで決められることではありません。
次の世界で神様や霜山先生に会う時、もう一度ちゃんと感謝したいと思っています。
大田民雄 (69年文英)
オヒネのひとりからの追悼
「『人はパンのみで生きるにあらず』と言ったら・・・『パンにはバターやジャムも要る』と応えた<オヒネ>が居ましてね・・」と言って笑わせた後、「ヒトは動物が想像もつかない程、貪欲になれる一方で、動物にはできない精神的崇高さを求める」という内容の「心理学概論」に感動したのは一年生の最初の講義でした。
先生は学生をつかまえては<オヒネ>と呼ぶのが常でした。
毎週授業の冒頭に、読み切れないほどの書籍を順に廻して各自に与えられるのですが、次の授業の前日に徹夜で抜粋して繋ぎ合わせ、丸写しした四百字詰の原稿用紙の束を伏目がちに差し出す不届き者を、先生は(すべてをお見通しで)「頑張れ<オヒネ>」と叱咤してくださったのです。
哲学科から先生の下への「転科」をお願いに行ったら、二つ返事で了解をいただけた時はとても嬉しかった。しかし一年半後にお部屋を訪ね、「転科直後から勃発した大学紛争の所為で勉強できなかった」という言い訳をして、「学校に残ることを諦めて社会に出たい」と相談したら、右手でハサミを逆に握って、ご自身のコメカミを叩きながら、「実は、自分が臨床心理学を目指したのは、偏頭痛持ちだったからだよ・・・キミにはそういう原因が無いのだから、就職するのが良いだろう」と言ってくださった。「キミには勉強(大学)は向いていない」とは仰らず。
その後、お仲人までお願いしたのに、海外赴任が続き、長期に渡ったこともあり、スッカリご無沙汰してしまった恩知らずの不束者だが、厳しいなかに優しさが溢れていた先生の眼差しを、折に触れ思い出している。
小田洋一 (70文心)
ヨハネ・パウロII世ご来校(1981年)
霜山徳爾先生略歴
履歴・職歴
1942年 |
東京帝国大学文学部心理学科卒 |
1950年 |
上智大学文学部助教授、成蹊大学講師 |
1951年 |
聖心女子大学講師を兼任 |
1953年~1955年 |
ボン大学に留学 |
1957年 |
上智大学文学部教授 |
1969年 |
東京藝術大学大学院客員教授 |
1980年 |
日本女子大学大学院、東京医科歯科大学講師を兼任 |
1983年 |
東京藝術大学大学院客員教授 |
1989年 |
東洋英和女学院大学教授を兼任 |
1990年 |
上智大学名誉教授 |
2009年 |
10月7日 ご逝去 |
主要著書
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(翻訳)ヴィクトール・フランクル みすず書房 1956年
『異常心理学講座 第2巻』(編著)みすず書房 1956年
『死と愛 実存分析入門』(翻訳)ヴィクトール・フランクル みすず書房 1957年
『明日が信じられない 幸福の条件』 光文社カッパブックス 1958年
『神経症 その理論と治療」(翻訳)ヴィクトール・フランクル みすず書房 1961年
『人間とその陰』 中央出版社 1971年
『人間の限界』 岩波新書 1975年
『仮象の世界「内なるもの』の現象学序説』思索社 1975年
『人間へのまなざし』中央公論社[中公叢書] 1977年
『人間の詩と真実 その心理学的考察』 中公新書 1978年
『黄昏の精神病理学 マーヤの果てに』 産業図書 1985年
『素足の心理療法 新装版』 みすず書房 1992年
『霜山徳爾著作集』 全7巻 学樹書院 2001年
『共に生き、共に苦しむ 私の「夜と霧」』 河出書房新社 2005年
Memories 恩師への謝辞