ヨゼフ・ピタウ大司教葬儀ミサ・告別式―ピタウ先生への弔辞
2015年01月29日
ピタウ先生、ありがとうございました。
学生時代の多感な時期にお会いでき、そして直接ご指導いただけたことは幸せでした。
また卒業後も同窓生の会合に必ず顔を出してくださり、「卒業生が社会で活躍されることが上智大学の評価を高めるのです。」と言われ激励してくださいました。
そして常に「人に尽くす心を持ちなさい」、「弱いもの貧しい者、困っている者を助けなさい。」と語られ、自らも実践されました。
学長でありながらインドシナ難民を救うための街頭募金の先頭に立たれました。そしてボランティア活動の大切さを、身をもって教えてくださいました。また理事長であり学長でありバチカンの高官であったときでも、だれとでもわけ隔てなく接し、一人ひとりの名前をよばれ挨拶されました。 にこやかな挨拶こそが「あなたを大切に思っています」というメッセージだと言われました。
ピタウ先生の生き方は上智大学の建学の精神「他者のため、他者とともに」そのものでした。先生の薫陶を受けた卒業生たちはアンコール・ワット遺跡修復をはじめ国内外の様々な分野で、ピタウ先生の精神を忘れず活動し、活躍してくれていますのでご安心ください。
ピタウ先生との思い出は数えきれないほどありますが、ピタウ先生の人柄を偲ぶ三つのエピソードをお話させてください。
一つ目は1968年の大学紛争での出来事です。上智大学も例外ではなくバリケードがはられていました。紛争の最中、39歳の若さで最年少の理事長になったピタウ先生は「大学は学生、教員、職員の共同体である」と言われ、学生の声に耳を傾け、教職員と一体となって様々な大学改革を、当時の守屋学長とともに断行されました。現在の上智大学の礎を築いたと言っても過言はありません。しかしながら、いつまでもバリケードを解除しない全共闘に対しては、「大学は学問の府である」と言われ、毅然として機動隊導入・ロックアウトを実行されました。この時、ピタウ先生の正義に対する揺るぎのない信念を感じました。
一方、上智の全共闘の学生に対しても、赦し合う心をもって接しられました。上智大学では学生同士の憎しみ合いがなかったのは先生の思いやる心でした。その後の上智では多くの元全共闘の方々も上智大学の発展のために尽力してくれています。
二つ目は、ピタウ先生がバチカンでヨハネ・パウロ二世の側近として活躍されたあとの、2004年の75歳定年後のことです。
故郷のサルディニアではなく、日本に帰ってこられました。イエズス会の修道者として、日本に来た日から一生を捧げるという信念がそうさせてのだと思いました。私たちに、日本が「終の棲家」だと言っていたことを実践されました。
日本に一生を捧げるという思いに、ピタウ先生を敬愛する卒業生が中心となってピタウ先生の精神を現役の学生や伝説としてしか知らない世代の卒業生にも伝えようとして「ピタウ先生の語る会」が始まりました。昨年12月までに通算90回を数え、毎回、ピタウ先生の生き方、ヨハネパウロ二世のこと、ハーバード留学のこと、バチカン教育省次官の時の話などテーマを決めてお話しくださり、そして閉めの挨拶は先生お得意の「バンザイ」でした。残念ながら最後の頃はお病気で顔を出されるだけになりましたが会のメンバーにとってはお会いできるだけでうれしいことでした。この会はこれからも「ピタウ先生を語る会」としてピタウ先生の精神を語り継いでいくとのことです。
三つ目は2008年8月、ピタウ先生とご一緒に、故郷サルディニアからバチカン・アッシジ・フレンチェを旅した時のことです。
故郷サルディニアでは弟のアンジェロ神父さんはじめ大ファミリーの親族の方とお会いし家族愛の大切さを教えられました。そして大司教叙階の際、故ヨハネ・パウロ二世から授かった小高い丘の上の歴史ある教会では、地元の方のためにイタリア語のミサをあげられその最後に日本を紹介された後、教会の中で、大声で「バンザイ」をされました。日本を愛する心がそうさせたのだと思いました。
また、バチカンのサンピエトロ寺院では地下にあるお御堂に案内され、特別にミサをあげてくださり、同行したメンバーの半数がカトリック教徒ではないことを配慮され「ミサ曲に代わりに校歌を歌いましょう」と言われ、サンピエトロ寺院の地下で、大声で歌ったこと、そして勢い余って「フレーフレーソフィア、フレーフレーピタウ」と大声でエールをおくった時も、にこやかに笑ってくれました。
思えばあの旅は、13を超える由緒あるカトリック教会を大司教であるピタウ先生自らが案内され、上智ゆかりの場所ではミサをあげてくれたのは、ソフィア会の会長に就任直後であった私と同行した卒業生たちに、上智大学のルーツと建学の精神を再認識させてくださったのだと思い、感謝しています。
ピタウ先生の思い出は尽きませんが、日本と上智をこよなく愛されたピタウ先生とのお別れに、先生の大好きな「バンザイ」とサンピエトロ寺院のお御堂でも発したエール「フレーフレーソフィア、フレーフレーピタウ」をおくります。
ピタウ精神は上智に根付きこれからも語り継がれていきますのでご安心ください。天国では生前敬愛されていたルーメル神父・守屋元学長はじめ多くの先哲の方々とゆっくりお過ごしください。
四ツ谷のキャンパスを歩けばいつでもピタウ先生の元気に挨拶されるお声が聞こえる気がします。また、土手の桜が満開の頃、お会いしましょう。
ありがとうございました。
2015年1月14日
和泉 法夫