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クリスマス・イルミネーションに込められた青年の願い

 上智大学の冬の風物詩となった、メインストリートのクリスマス・イルミネーション。木枯らしが吹く年の瀬の夜、この輝く光を見てホッと暖かい気持ちになられた方も多いと思います。しかしこのイルミネーションを最初に照らしたのは、たった一人の青年でした。

 その名は、佐藤淳。
 神学部神学科の学生だった彼は、カトリック学生の会の副会長として活躍。3年のときに一人でイルミネーションの点灯を行います。その後、2002年の卒業と同時に仙台白百合の教員となりましたが、わずか2年後の2004年5月20日に急逝。
 その死を悼み「佐藤淳追悼文集」が編纂されましたが、その中で文学部史学科の川村信三准教授が次のような一文を寄せています。「魂と光のぬくもり」と題されたこの文章で、私たちはクリスマス・イルミネーションに込められた佐藤淳の願いを理解することができます。川村准教授の了承を得て、その全文を紹介します。

クリスマス・イルミネーション

佐藤淳追悼文集より

「魂と光のぬくもり」

 佐藤淳の訃報に接してから一年が経とうとしている。気のせいか、今でも新宿や四ッ谷駅前の雑踏をかきわけていると、ばったりと出くわしそうな感覚にとらわれることがある。皆それぞれ、この若者の死を悼み、ありし日の過去を、心の中で「思い出」という現在進行形に転換する辛い作業中なのだろう。「記憶」は人の心の中で「現在進行形」となり、未来につながることを佐藤淳は教えてくれた。

 メインストリートを歩いていると、ときおり佐藤淳とクリスマスのことを思い出す。毎年上智大学で行われる恒例のクリスマス・ミサに、参加者は、照明灯のすくない、寒く寂しい真冬の大学構内を足早に会場に急ぐのが常だった。そんな姿を新入生のときから見ていた佐藤淳は「来る人みんな寂しそうだね」と言っていたらしい。メインストリートをイルミネーションで明るく照らし、みんなが「ハッピー」な気持ちで祈りの心になれるのが彼の念願だったようだ。

 彼が三年の執行学生となったとき、単独で学生部長にかけあい、どこから資金を調達するかも考えないうちに、一つの木にわずかながらもイルミネーション点灯を願い出た。そんな行動は前代未聞であり、当時の学生部長は佐藤淳の迫力に圧倒されたかたちで承認を与えた。最終的には最もよき理解者となって応援したカトリック学生の会の仲間たちも、最初は「無理だ」と言って佐藤淳をせめた。

 作業の日は師走の凍てつく寒さであったのに、電気工事専門の方の横で、佐藤淳が木を見上げてずっと立っていた。それを、私は数時間毎にSJハウスの窓から、終日目撃したのを覚えている。なにか遠くを見つめるようなそのまなざしは、早くイルミネーションが点灯しないかと待ちわびているようであり、クリスマスツリーを飾る父親の横でうれしそうに手伝う幼子の姿に見えた。

 いまでは、上智クリスマスのイルミネーションは全学的行事として大学から助成を受け、毎年光を増しつつある。佐藤淳がつけた最初の光とは隔世の感があるほど質・量的に拡大し、上智の風物詩のひとつになった。でも、佐藤淳がつけたあの最初の年の、弱々しく淡いけれど何かほのぼのと暖かく透明な光のつぶの印象は、決して薄れることのない「記憶」となって私の心の中に生きている。それは佐藤淳の「魂と光のぬくもり」なのだろう。メインストリート交差点8号館前の木に点灯するイルミネーションを、佐藤淳の記憶とともに、決して絶やしてはならないと思っている。

 彼が亡くなった年のクリスマス。後輩たちは、佐藤淳の追悼をこめてメインストリートを光で満たした。なぜ、イルミネーションにこれほどこだわるのか、佐藤淳を知らない学生や教職員は理解できないだろう。しかし、その光を見たものは、心のなかにほのぼのとした何かを感じることだろう。佐藤淳の願いはまさにそこにあった。そして、上智の心を照らす光となって受け継いでいくことだろう。こうして、上智大学は、魂の深い部分で一つの伝統を加えたのである。

川村信三
イエズス会司祭
上智大学文学部史学科助教授
上智大学カトリック学生の会指導司

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