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【ソフィア会後援企画】「教皇ヨハネ・パウロII世の平和アピールと現代世界~教皇来日35周年を記念して~」開催報告

2016年07月05日

「過去を振り返ることは未来に対する責任を担うことです」――35年前に初来日した教皇ヨハネ・パウロII世は、広島の平和公園でこの言葉を繰り返し、全世界に向け平和と核廃絶のメッセージ「平和アピール」を発信しました。
教皇来日から35周年を記念して、上智大学とポーランド広報文化センター共催、上智大学ソフィア会などが後援する形で、5月11日15:15から19:00まで、学内2号館17階国際会議場で、訪日ドキュメンタリー映画の上映・トークセッション、特別シンポジウムが開催されました。

第1部では、「平和の巡礼者ヨハネ・パウロII世」(1981年千葉茂樹監督)を上映。
「2月23日、羽田空港のタラップを下りると地面にひざまずいてキスをし、教皇の日本滞在が始まりました。まずは同じポーランド人のゼノ修道士を訪問、当時90歳のゼノさんは感涙にむせびます。24日はキリスト教各宗派、諸宗教の代表、さらに昭和天皇、当時の首相と面会。大雨の東京後楽園球場で日本語による教皇ミサのあと、若者たちとの集いに出席。25日は早朝に上智大学訪問。続いて粉雪舞う広島で平和アピールを発表、原爆資料館見学、長崎に飛び、司祭叙階式ミサ。26日は記録的な大雪の長崎で「長崎・殉教者記念ミサ」、続いて被爆者のホームを慰問されました」。
以上のような分刻みのスケジュールを千葉監督は映像で丁寧に追い、教皇の愛の姿を余すところなく観る者に伝えます。

トークセッションは、司会を務めるフリーアナウンサー菅家ゆかりさん(1981文新)の絶妙な仕切りによって、映画撮影で密着した千葉茂樹監督と、バチカンで教皇に日本語を教授した女子パウロ会シスターの石野澪子さんが、身近に接した教皇の姿を語りました。
まず、石野シスターは、来日当時教皇は61歳で、声や発音がよく、説教がよく心に響いたこと。大勢の殉教者を輩出した日本に行きたいという教皇の思いから、3か月日本語の練習をし、プライベートでは毎朝、日本語のミサをたてていた思い出を語り、晩年、教皇はパーキンソン病に苦しみ、ふるえる手で一般謁見に出ることは賛否両論あったが、教皇は、老いや病気は恥ずかしいことではない、人間の姿で自然であると、キリストの代理者として、あわれな姿を通して、強烈なメッセージを発していたと話しました。
千葉監督は「飛び入りでダンスをしたり、障害者や子どもを見ると駆け寄って祝福をしたり、教皇は本当に優しい人です、また、カメラマンに自分の帽子をかぶせるなど、チャーミングな人でした」と具体的な行動を思い出していました。
若者たちとの集い「ヤング・アンド・ポープ大集会」の準備から関わった三溝真季さん(1984法国)と中嶋寿美恵さん(1986神神)は当時のグッズを持って講演会に参加、出席者に当時のようすを懐かしく伝えました。

第1部と第2部の間には、来賓である、ジョセフ・チェノットゥ・バチカン大使とツィリル・ コザチェフスキ・ポーランド大使が挨拶。世界各国を回って世界平和と戦争反対への呼びかけと平和行動を実践し、また、ポーランドをはじめとする民主化活動の精神的支柱としての役割も果たしたヨハネ・パウロII世の偉大さを讃えました。

第2部は特別シンポジウムとして2つの基調講演が行われました。その1は、ヨハネ・パウロII世大学教授、ドミニコ会司祭のヤロスワフ・クプチャク氏による「ポーランド生まれの教皇ヨハネ・パウロII世の教え――ポーランド・ヨーロッパ・世界の変動に及ぼした社会的・政治的影響」、その2は、上智大学神学部神学科教授、イエズス会司祭の小山英之氏による「広島平和アピールと未来の平和」。その後、パネルディスカッションでした。

今年の4月11日、広島で開催されたG7広島外相会合では、被爆地から核兵器のない世界を目指す「広島平和宣言」が採択されました。今回のイベントは、カトリック司祭、ポーランド人ジャーナリスト、教会関係者、学生さんなど、国際会議場が満員になる参加者が、教皇ヨハネ・パウロII世の「平和アピール」から今回までの35年を振り返り、未来の平和について考える、タイムリーで意義深い時間でした。

撮影・文責:鈴木真理子(1982文仏)