2026ASF 史学科同窓会の部屋報告
2026年06月05日
2026ASFにおいて史学科同窓会主催の講演会が行われました。
本年度は、麗澤大学客員教授・國學院大學非常勤講師である櫻井良樹先生(1981文史卒)にお願いいたしました。
演題は「幕末横浜からの日本茶初輸出をめぐって~大学の地域連携の現場から~」でした。
演題にあるとおり、この調査は茨城県猿島郡境町が、地元産の「さしま茶」をより広く認知してもらいたいと願い、地元の豪農・茶業者:中山元就に関する記述に見られる「さしま茶がアメリカへのお茶輸出の初である」という記述が事実であるかどうかの調査を大学に依頼したそうです。
この証明にとってまず問題となるのは、何を持って初とするかでした。売買契約が成立した時か、横浜港を積み出した時か、アメリカに到着した時かでした。
お茶の日本初の海外への輸出は、資料により長崎が先行していることは確実であったため、猿島郡境町の要求に応じるには「中山元就がアメリカに輸出したものが初」である理由を探すことが必要でした。
そのため ①中山元就の残した史料②横浜や上海の記録③日本に商館を置き活動していたラッセル商会関係史料④来日した商人たちの記録等の調査を行いました。
その結果、横浜の欧米商館に出入りし亜商ホール支那人亜星などに売り込みをした事を確認した。また、ラッセル商会・ウォルシュ商会の記録・私信などからも取引があったことが確認された。さらに、ラッセル商会の帳簿の記録と中山が売り込んだお茶の数量と形態が一致している。加えて、明治7年5月19日付の「東京日日新聞」の記事中に「1860年の10月に日本茶を上海経由で米国に輸出したものが、日本茶の名目を合衆国に顕したる初めなり」と書かれており、その時の積み出し船の名称が「ウラニア号」であるというのも一致している。
以上の事から、中山の販売した「さしま茶」が「アメリカに輸出された初の日本茶」であるとの結論に達し、猿島郡境町からの依頼に回答することができたそうです。
このように話された後、櫻井先生は、今は、歴史の研究を「謎解き」のように考え、楽しみながら研究していると話されました。
お話の後、「当時、アメリカ人はどの様なお茶を飲んでいたのか?」「茶箱は今のような形だったのか?」「当時(明治期)はお茶の輸出が境町に何らかの貢献をしたのか?」等の質問があり、皆を引きつける内容で、かつ楽しく、あっという間の講演時間でありました。
櫻井先生ありがとうございました。
「史学科同窓会の部屋」では毎年ささやかですが飲み物と食べ物を用意して卒業生やご家族をお待ちしております。ASFのおりにはぜひお立ち寄りください。ワインやサンドイッチ、お稲荷さんなど差し入れてくださった諸先輩、カンパへのご協力、受付や片づけのお手伝いなど、この場を借りて御礼申し上げます。
なお、毎年ASF当日に講演会を予定しておりますので、次回もどうぞ楽しみにしてください。
他学科のOBもお待ちしております。
佐藤徹郎(1975文史)


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