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第30回コムソフィア賞、授賞式と記念講演会を開催
―長野智子さんと玉川奈々福さんが受賞

2022年02月02日

 ソフィア会はマスコミ・ソフィア会と共催で(上智大学後援)、1月25日(火)17:30から第30回コムソフィア賞の授賞式と記念講演会を学内2号館17階の国際会議場で行いました。当初は対面とオンラインのハイブリッド開催を予定していましたが、コロナ・ウィルスの感染拡大により、急遽Zoomによるオンライン開催となりました。

●授賞式は対面で

 第30回という記念すべき今回のコムソフィア賞を受賞されたのは、キャスター・ジャーナリストの長野智子さん(1985外英)と浪曲師の玉川奈々福さん(1987文国)のお二人。
 長野さんは卒業後フジテレビのアナウンサーで活躍、その後アメリカで「メディア環境    学」を学び、帰国後はジャーナリストとして活躍。2019年からは難民の救済活動を展開している国連UNHCR協会の報道ディレクターとして救援活動を呼び掛けています。
 玉川さんは卒業後、出版社勤務の傍ら日本浪曲協会主催の三味線教室に参加。二代目玉川福太郎に入門し三味線の曲師として修業、2001年より浪曲師として活動。さまざまな浪曲イベントをプロデュースするほか、平成30年度文化庁文化交流使としてイタリア、ポーランドなど7か国で講演。第11回伊丹十三賞受賞。
 当日は上智大学の曄道佳明学長やソフィア会の鳥居正男会長(1970外独)、マスコミ・ソフィア会の山本明夫会長(1971文新)など限られた関係者が国際会議場に集まり授賞式を行った後、長野さんが「小さな声を大きな声に」のテーマで講演、続いて玉川さんが浪曲「仙台の鬼夫婦」を実演しました。
 お二人の講演、実演に先立って行われた授賞式は菅家ゆかりさん(1981文新)の司会で行われ、ソフィア会の鳥居会長が「上智大学には国際的な舞台で活躍されている卒業生が多い。特に国際的なメディアの分野、また社会貢献の分野で貢献されている方が多く、その方々を支援するこのコムソフィア賞の意義は大きい」と挨拶。続く曄道上智大学長は「大学は、卒業生の活躍に触れるのが何よりの喜びであり、今日はお二人の、それぞれの価値観の中で生きる思いを伺いたい」と祝辞を述べました。
 その後、今回の選定にあたった村田亨選考委員長(1964外露)が選考経緯を説明、続いて長野智子さんには鳥居ソフィア会会長が、玉川奈々福さんには山本マスコミ・ソフィア会会長が賞状と副賞として、細川護熙元総理大臣(1963法法)製作の「信楽瓢皿」を贈りました。

●難民キャンプで知った小さな声を伝える大切さ―長野さん講演

 若干の休憩のあと、まず長野智子さんが記念講演を行いました。テーマは「小さな声を大きな声に」。
 長野さんは冒頭、表彰状にあった「派手さはないが、地に足の着いた」という言葉をとらえ、「これは私にとってはうれしい言葉でした」とアドリブで反応。TVアナウンサー時代に人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」の"ひょうきんアナウンサー"として一世を風靡したものの、次第に「これは本当に自分のやりたい仕事ではない」と思うようになったといいます。それが「派手さはない」という言葉への反応だったようです。
 そこで32歳の時、その派手なテレビの世界に別れを告げ、アメリカのニューヨーク大学の大学院で改めて5年間勉強。大学院のメディア環境学で学んだのは「自分自身が人と事象との仲介物(メディア)であるならば、その仲介物が大きな声ばかりでなく、小さな声も大きく社会に響くそのような存在になりたい」という思いだったといいます。
 37歳のときにテレビ復帰。テレビ朝日の報道番組で、現在の長野さんを形作る大きな事件が起こります。2001年9月11日の、イスラム過激派テロ組織アルカイダによって行われたテロ攻撃「同時多発テロ」でした。その時訪れたパレスチナの難民キャンプで「子供たちがキャッキャッと踊っていたのです。テロで多くの人が亡くなったのよといったら、ここでも罪のない人が毎日何人も殺されている」と。
 「日本ではアメリカ中心のニュースばかりが流されていましたが、それだけではメディアとして事象を伝えることにはならない」として、とにかく現場に足を運ぶというスタイルを築いてこられました。
 今のUNHCRの仕事をやろうと思うようになったのも、難民キャンプでの取材が元になっているようです。「難民キャンプの子供たちに一番欲しいものは何と聞いたら、教育という言葉が返ってきました。教育で自分たちの夢がかなえられる。日本で育った自分たちには考えられないことだと思いました」という思いが、現在のUHNCRの報道プロデューサーの原点になっているとのことでした。
 もうひとつ、長野さんは今「女性の国会議員を増やしたい」と思っているとのことでした。世界中の議会で女性議員が増えているのに、この前の選挙(衆議院選挙)では日本だけが唯一女性議員の数を減らしました。「国会議員の9割が男性という同質性の世界では、とても多様性のある世界は築けないし、持続可能性のある社会も築けない」という思いから、さらに長野さんのこれからの活躍の場が広がると感じさせる講演会でした。

●国際会議場が浪曲の舞台に―玉川奈々福さん

 舞台設定の都合上、若干の休憩をはさんで行われた玉川奈々福さんの浪曲実演。2号館国際会議場のそのステージは、中央には立派な"テーブルかけ"(実際にそういうようです)でしつらえた演台。そして、上手には三味線の曲師、沢村美舟さんが座るという、完全な浪曲の舞台となりました。
 演台に立った奈々福さんは「今の長野さんの講演を聞いて感動し、重心が上がってしまいました。しかし浪曲をやるときは重心をずっと下げなければならないので、実演の前にちょっとお話をしたい」として、いつも質問されるという「上智を卒業して、なんで浪曲師になったのか」への答えから。浪曲は、自らめざした道ではなかったようです。
 「大学を卒業したときは特にこれをやりたいという気持ちもなく、大学近くの小さな出版社に入りました。その後、新潮社、筑摩書房といくつかの出版社で働きましたが、途中で、本当にこれでいいのかと迷うようになりました。えらい著者の先生方にお会いしても、なかなか言葉が出てこない。そこで自分の感性を磨かなくてはならないとの思いに至り」、いくつかの習い事を始めることに。
 そのひとつに、三味線教室があったのです。しかしこれは、若手の曲師発掘を目指して浪曲協会が行っていた教室でした。案の定、途中でその後師匠となる浪曲師、二代目玉川福太郎に「家に来て稽古しないか」と声を掛けられ、そのまま曲師への道へ。その後、浪曲師への道へ。
 時折、小学生相手に浪曲のワークショップをやることもあるようです。
 「小学生に日本の伝統芸能を知っている人、と聞くと、さっと手が上がります。歌舞伎、能、狂言、そして相撲なんて挙げる人もいます。そのほか落語、講談など、だいたい10ぐらいの伝統芸能が上がります。しかし海外に行って知ったのは、海外では日本の伝統芸能のようなものがほとんどない。オペラとはバレエとかあっても、それはどこの国にもあります。独自の、日本の歌舞伎、能のようなものがあっても、時代の流れの中でどんどん新しいものに移り変わっている」
 伝統芸能を大切にしよう、という気持ちが芽生えたところで、いよいよ奈々福さんの実現。
 演題は「仙台の鬼夫婦」。「妻がダメな夫を叩き直すという話なんですよ」と簡単に説明してくれましたが。ネットには「ダメな夫を、武術を通して妻が立ち直らせていくという、いわゆる賢妻の読物で、女流の演者が好んで掛ける」とあります。
 主人公であるお貞という妻は、薙刀の名人。途中で、薙刀の石突のところで夫をぐっと抑え込むシーンがある。これは海外公演にも持って行った演題で、スロベニアでやったところ、石突で抑え込むこの場面で「ブラボー、ブラボー」と声がかかったといいます。 ここでは残念ながらそのエネルギッシュでパワフルな舞台の様子を伝えることができません。しかし、奈々福さんは人気浪曲師だけあって連日数多くの舞台をこなしていますので、スケジュールを確認し、ぜひ実際の舞台でその世界を体感してください。

宍戸周夫(ソフィア会広報委員長、1971法法)


挨拶する曄道上智大学長


長野さんに副賞を手渡す鳥居ソフィア会会長


授賞式後の記念写真


受賞されたお二人


長野さんの講演「小さな声を大きな声に」


迫害を受けている女性を支援するUNHCR


奈々福さんのエネルギッシュな実演


⑧ 薙刀の石突で夫を抑える「仙台の鬼夫婦」の名場面