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オールソフィアンの集い
晴佐久昌英神父講演会開催報告

2019年06月06日

5月26日(日)14時~16時 6号館101教室

今年も「オールソフィアンの集い」で晴佐久神父様の講演会が行われました。ASFでの晴佐久神父様の御登壇はすでに7年目。今年のテーマは、11月に訪日が予定されている「教皇フランシスコを迎える喜び」です。真夏のような暑さにも負けず、400人の聴衆を前に、熱い晴佐久節が展開される2時間となりました。

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今、大学の授業でAI対応の講義を増やすためにリベラルアーツの授業を減らす傾向があります。AIとは、いったい何のためなのか? それを考えるためには、超越的な視点を持たなくてはいけません。教皇フランシスコは、そのような視点を持った方です。型にとらわれない、前例なんてどうでもいい、優先順位を間違えない。今、その人が本当に困っていることを考える。その苦しみを我慢してまで優先しなくてはいけないことなど何もない。「イエスなら、こういう時にどうするか?」を、今、この地上で一番行動している人が教皇フランシスコです。教皇フランシスコがするのであれば、自分もやる。格は違うけれど、真似したくなる人です。言葉だけではなく、「しるし」を見せてくれます。日本に来て、何を言うか、誰も予想がつかないけれど、我々はイエス・キリストをちらりと見ることになる。これは楽しみですよ。

南スーダンという国を知っていますか? 世界幸福度ランキングで最下位になった国です。7,8年前に独立国家になりましたが、もともと戦争や内紛があり、独立後に大統領と副大統領が民族の違いや石油の利権争いの問題で対立し、何十万の難民を生んだ国です。きちんと食べられない子供が半数以上います。何を思ったか、つい先日、この大統領と副大統領の二人が揃ってバチカンを訪れ、教皇に会った。面会の前に、教皇は南スーダンのために2日間瞑想し、和解をさとし、ひざまづき、二人の靴に接吻して「和解してくれ」と頼んだ。この姿、キリストならそうしたかもしれないと思わせることだった。しるしとして見せる、きちんと形にする。教皇フランシスコはすごいです。「なんとしても、この二人に和解してもらい、死んで行く子供たちの命を救いたい」という思いにあふれています。誰もやらない、でもあの人はやります。

これはちょうど四旬節の枝の主日の頃だったので、「じゃあ、自分も何かやろう」という気持ちが起きた。それが効果っていうものですね。聖木曜にこれを説教で話し、洗足式(司祭がひざまづいて信者の足を洗う式。今年は晴佐久神父様は足をタオルでくるみ口をつけるところまで)で実行しました。やってみてすごく実感したことがあります。「こんなに簡単なことなんだ。これをやっていけばいいんだ」というほっとしたような気持ちです。なんだかんだと言い訳しながら、やって来なかったことをやってみた。越えて行かなくてはいけないことをやってみる力。教皇フランシスコがそこまでするのなら、そうしようと思った。キリスト教には秘跡があります。人目につくところで、きちんと見せる文化です。イエスはひっそり死んで行ったのではなく、人前で、十字架上で、「この俺を見ろ」と、亡くなりました。誰から何を言われようがやって行く。起爆剤みたいなことを教皇フランシスコはしています。

「第二バチカン公会議が終わって50年、ついにこの教皇を生んだ」と、神学者のハンス・キユングが語りました。第二バチカン公会議という美しい会議、その会議がなければ、間違いなく私は司祭になっていなかった。神は人々を滅ぼすわけがない。みんな救われる。私はユダが救われるためにイエスは十字架にかかったとすら思っている。教皇フランシスコはこう言っています。「私は『カトリックの神』など信じない。なぜなら『カトリックの神』なんていうものはないからだ。私が信じているのは『神』だ」。かっこいいでしょ? ドキッとするでしょ? バラバラになって、独りよがりになって、異端だのなんだの言っているとイエス様から遠く離れる。バチカン公会議の実りとして、ただの一人の教皇ではなく、教皇フランシスコが誕生したことは大きいですよ。日本という40万しか信徒のいない国には、普通なら来ないです。しかし、日本は唯一の被爆国であり、震災にも見舞われ、原発の被害もある。そして、教皇自身が、かつては日本での布教活動を希望していましたからね。

「本当に来るんですか?」(なぜか、司会の鈴木真理子さんの方を見て確認をとり、会場が笑いにつつまれる。鈴木真理子さんの力強いうなづきを得て、神父様はさらに話を続けられます)。

大嘗祭のあと、11月は予定をあけて、教皇のミサにあずかりましょう! なんとしても! もし中に入れなくても、外で祈りましょう! こんなに日本にカトリック信者がいるんだということを見せることが大事です。テレビで観る・・・とか言わないで(会場 笑)。自分なりに精一杯、司祭職を続けて来たけれど、教皇フランシスコが日本まで来てくれるということで、「ここから俺、本番やって行こうかな?」という気持ちになっています。もう、誰にも邪魔させない、やりたいようにやって行く・・・ということで、これを人に言うと、「もう十分でしょ?」と言われるのだけれど(会場 笑)。

教皇フランシスコを一番良く知ったのは、この逸話です。 教皇になって最初の誕生日に誰をゲストとして呼びましょうか、とスタッフに聞かれて、「まわりにいるホームレスの人を連れて来て下さい」と答えたんです。教皇の住まい「聖マルタの家」にホームレスを招いて、ハグして、食事を一緒にしたんです。その招待客のホームレスの一人がインタビューにこう答えたんですよ。「パパ様に呼ばれて、一緒にごはんを食べて、ホームレスになった甲斐があった」(会場 笑)。 そういうことを言わせる人って、他にいます? 私は、それに感動して、上野教会で「うぐいす食堂」を始めたんです。その後、教皇は「年間第33主日」を「貧しい人のための世界祈願日」に制定なさって、去年、バチカンに、貧しい人3千人を呼んだ。たくさん並んだテーブルの中で、教皇がニコニコしながらしゃべっている・・・。もぉ~、かなわないんですよ。そんなことされたらですよ、日本の教会は3万人呼ばなければ格好がつかないんですって。でしょう?(会場 笑)。彼は、やっぱりそういう道を歩んで来たし、まぁ、別に教皇になったからどうこうということを越えて、彼らしく、キリストの弟子らしく生きているんですよ。なんか、ちょっと真似しようかな、と思っちゃう。これ、やっぱり教皇フランシスコ効果。

昨日の「うぐいす食堂」も楽しかったですよ。「うぐいす食堂」は炊き出しではないんです。助けてあげましょうというより、家族になりましょう、ということで、一緒に暮らすわけではないけれども、月に一度食卓を囲むだけでも、少しずつ情が移り、家族になって行く、そういう集まりです。スタッフは7,8人で、ホームレスは30人くらい。毎月趣向をこらして色々おいしいものを並べています。昨日は焼肉パーティーでした。以前、上野公園の炊き出しを見学したんですが、人数は多かったけれど、2列に並んで、プラスチックのカップにごはんを盛って、汁をかけて、立ったまま、同じ方向を向いて、無言で食べていた。外国人の人がカメラを向けたりして、それをふりはらって・・・。正直なところ、胸が痛んだ。これが自分の家族であったらどう思うか? もしなんとも思わないんだったら、家族ではない。ちょっとでも何か思うなら、そこに家族的な何かが生まれる。それがキリスト教だと思うんです。・・・今の教会は、キリスト教かなぁ? イエスは慈善事業をしていたのではなく、家族になった。「あなたたちは私の家族」だと言い切ったんだから。聖書にも書いてありますよ。聖母マリアが会いに来た時にも出て行かず、そこにつめかけた貧しい人、障害を持った人、罪びとに「私の母、私の兄弟はあなたたちである」と言いました。教皇フランシスコは、当たり前のこと、とても自然なことをしているんです。

去年、「貧しい人のための世界祈願日」にあたって教皇フランシスコが出した文書を持ってきました。
「キリスト者に必要なのはむなしい言葉ではなく、具体的な行いだ。私たちは貧しい人と距離をおくことによって、知らず知らずに主イエスから遠ざかっています。貧しい人は福音の素晴らしさを日々発見できるように私たちを助け、私たちを福音化してくれます」。貧しい人とかかわることによって、イエスと身近になることができる。あのマザー・テレサがやっていたことですよね。いや、私はマザー・テレサにはなれない、とよく言うけれど、いくらでもチャンスはあると思いますよ。

最後にまとめとして。
教皇フランシスコが日本に来る。
それはあなたのためです。たまたま、の話じゃない。神が遣わしてくれます。今年のあなた、今の私、なんだかむなしい気持ちでいるとか、不安な気持ちでいるとか、モヤモヤとしているとか、そういう人のために教皇が来ます。それを神からのみことばとして、しるしとして、きちんと受け止める必要がある。今度来る国家元首は、世界で最も小さな国の国家元首だけれども、あなたに福音を語り、あなたに福音を与えてくれます。私はそういう方のもとで働けていることを誇りに思います。できることであれば、ささやかではあるけれどもご奉仕したい。そう思っている次第です。
ご静聴ありがとうございました。

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晴佐久神父様は、現在、ホームレス支援の他、子育て支援や、最近では「オタクの福音家族」である「アキバダファミリア」も立ち上げられて、数々の仲間の集まりを行っていらっしゃり、そのエピソードもたくさんお話し下さいました。そのひとつひとつをご紹介できないのは残念ですが、また来年の5月、ASFで御登壇の約束をして下さいましたので、来年はぜひ会場に足をお運びいただければ、と思います。

文/大橋慶子(1982文国)  構成/鈴木真理子(1982文仏)
撮影/ソフィア会広報委員会