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【報告】上智大学戦没者追悼ミサと偲ぶ会が開催されました。

2015年06月24日

 6月14日(日)午後1時30分より、聖イグナチオ教会マリア聖堂にて、上智大学戦没者追悼ミサがたてられました。主司式は髙祖敏明理事長。ドナル・ドイルソフィア会副会長、ユエルグ・マウツ神父、佐久間勤神父、大木章次郎神父による共同司式でした。
(主催:上智大学戦没者追悼の会、共催:上智大学ソフィア会、マスコミ・ソフィア会、
 協力:学校法人上智学院、SJハウス、上智大学カトリックセンター、上智大学カトリック学生の会、上智聖歌隊、上智大学グリークラブ・OB会)

 第一朗読は、使徒パウロのコリントの教会への手紙(二 5-11.13-15)
 「主に対する畏れを知っているわたしたちは、人々の説得に努めます。わたしたちは、神にはありのままに知られています。私は、あなたがたの良心にもありのままに知られたいと思います。わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」

 髙祖先生は、「学徒出陣で二度と四谷に戻れなかった60数名の先輩を追悼するとともに、日本の戦没者、また日本人として戦地に送られて戻ることのなかった台湾の方々のことも追悼するのがソフィアではないでしょうか」と、台湾で司牧された体験を交えて話されました。
 ミサ中、準備委員の戸川宏一ソフィア会副会長が上智大学の戦没者68名の名簿を奉納しました。
 マリア聖堂がほぼ満席になる150名の参列者があり、上智聖歌隊、グリークラブ現役とOB会の聖歌で祈りを深めました。

 追悼の会は、聖イグナチオ教会ヨセフホールに場所を移して行われました。
 準備委員で司会進行役の風間烈さん(65外仏)が「終戦70周年の節目の年に当たる今日、私たちにとってそれぞれの立場で長年の念願・課題でありました徴兵・学徒動員によって戦没された諸先輩の慰霊のミサを行うことができました。また、動員から無事お戻りになられた諸先輩の皆さまには長い年月背負ってこられたであろうお仲間への負い目がこの追悼会によっていささかでも軽くなりますれば、お手伝いさせていただきました私たち準備委員会としましても大変うれしく存じます」と述べ、戦没者への黙祷を捧げて会が始まりました。
 「上智大学戦没者追悼の会」の発起人を代表して江副隆愛さん(47文史)が声を詰まらせながら仲間たちへの思いを語り、準備委員会委員長の本多義人さん(61経経)が謝辞を述べ、全員で献杯しました。
 追悼の会にはミサに続いて、髙祖先生を始め神父様方、早下隆士学長も参加されました。

 学徒動員された方々のうち当日出席された以下の9名が紹介されました。
江副隆愛さん(47文史)、神津友好さん(47専門部新聞科)、崎濱弘泰さん(46経商)、中島重行さん(44専門部新聞科)、村松 正さん(49経経)、若林倫夫さん(45経商)、香川節さん(45文史)、上田早苗さん(49経経)、渡邊泰さん(48経経)。
 90歳を超える先輩方はそれぞれの体験を生々しく語りました。
 中でも、大木章次郎神父様(52文哲)のお話は重いものでした。
 「上智の予科に入学したのが昭和17年。その後入隊し、広島で海の特攻隊として海軍で訓練を受けていた。死ぬのが当然の時代だった。当時、神父になりたかったので、神父になれないなら死んだ方がましだと思っていた。でも、神様が自分を使いたいなら、死なないとも思っていた。そして、ピカドン。被爆したけれど、いまもこうやって元気に生きている。上智に戻り、卒業したのが、昭和27年。神父になった。その後、ネパールで30年間、学校を作ったり教育したりしてきた。いまは89歳になり、九州伊万里・トラピスト修道院でシスターの面倒をみている」。
 会の終盤では戦没ソフィアンに捧げる歌として「海ゆかば」「同期の桜」、また、全員で校歌を歌いました。
 元ソフィア会会長の故・諸橋晋六さん(47経経)が18歳で出征前に書いた遺書や、靖国神社で撮影した集合写真、鷲のマークの学帽などが貴重な遺品が多数展示されました。
 戦争を体験した先輩方の生の声を伺う貴重で感動的な会でした。

鈴木真理子(1982文仏)