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オールソフィアンの集い・晴佐久昌英神父講演会「キリシタンの生き方―映画『沈黙』から―」開催報告

2017年06月05日

5月28日(日)晴佐久昌英神父講演会がソフィアタワー1階101教室(講堂)にて開催されました。聴衆は昨年を上回る350人程度、若い方やカップルの姿が増えた印象です。

「一年間、いろいろなところで講演をしていますが、この講演会が一番好きです」と神父様。「母校だから、というのもあるでしょうし。去年までは3-521教室でしたから、学生時代の自分を考えると、ここまで来たんだな、という感慨もあります」。「今年はソフィアタワーができていてびっくりです。いま、あおぞら銀行の横をぐるっと廻ってきました。先日、上野の美術館で『バベルの塔』展を見てきたばかり。このタワーがバベルの塔にならないで愛の塔になるよう、祈っています」と、晴佐久節が始まりました。

以下、講演の要点です。

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映画『沈黙』について、「ここまでして信じなければいけないのか?」と正直な気持ちを語ってくれた方がいます。では、一体、どこまでならできるのか?
自分がいつも心しているのは、「優先順位を間違えない」ことを「自分の優先順位のトップに持ってくる」こと。いつでも優先順位のトップに来るのは「愛」です。この時代に、この場所で、この仲間と、普遍的な愛を実践する。
ある青年が地域の青年会の活動に忙しく、日曜の礼拝に来ないことを、このように責められました。「そんなところに行ってはいけないよ。彼らは救われない人たちだ。あの人たちのところにイエス様は行かないよ」と。
これは、果たして愛に基づいた言葉だろうか? あの人のところには共にいて、この人のところにはいない......、イエス様はそういう方ではない。すべての人と、世の終わりまで共にいる。それがイエス様。イエス様は私たちを愛しているので、私たちと共にいたいのです。人を分断するような、選民主義や分断主義が横行している今この時代に、普遍主義的な信仰への第一歩を我々は進まなくてはいけません。
話を『沈黙』に戻すと、神はイエスに殉教を求めたのだろうか。あえて言うなら、イエスは「愛」に殉じたのであって、「教え」に殉じたのではない。自分が十字架につけられる前に使徒たちを去らせたのは、ほかの人を死なせたくなかったから。「私が十字架を背負って死ぬから、もはやこんな野蛮なことのために誰も犠牲にならないように」というのがイエスの愛です。
イエスは、踏み絵を「踏んでもらいたい」のです。「踏んでもいいよ」ではない。そこにある「自分は死ぬから、皆は生きてくれ」というメッセージを受け取らなくてはいけません。
映画『沈黙』を観た自分の感想は、「かわいそうすぎる」。過去たしかに、「この教えを信じないと救われない」と教えていた時代があった。もし、もう一度歴史を巻き戻せるなら、生まれ変わって、ザビエルと一緒に伝道したい。「こうでなくてはいけない」と分断する教えは伝えたくない。
あの時代のあのような拷問は、ないに越したことはない。なんとか、あの人たちを救いたいという思いで、映画を観ていました。棄教したとされるキチジローもかわいそうすぎる。近くに行って、「あなたのところにこそ、イエス様はいる」と語ってあげたい。
 そしてこれは、過去の話ではありません。いまも、つらい思いを抱えて生きている人はたくさんいる。その人たちに「あなたはもう、何をしようと、しまいと、救われている」と伝えたい。
この映画を試写会で観たときに、一緒に観たキリスト教司牧者たちが感想を交換していた。「いやぁ、こんな迫害があったら自分の信仰を守れるかどうか不安ですね」「そうならないように祈るだけです」という声が聞こえて愕然としました。この会話にはまったく愛がない。関心のポイントは、自分が信仰を守れるかどうかではなく、この人たち(映画の中の登場人物)をどうやって救うか、でしょう。
この映画は、今の分断の時代にどのように人を救うかという、スコセッシ監督からの問題提起です。あの歳で、あの映画を撮ったのは、遠藤周作の『沈黙』に感動し、その普遍主義を世界に伝えたかったからにほかならない。でなければ、高齢でこんなつらい映画を撮影する必要はないんです。
実は、どの宗教にも原理主義的なものと、普遍主義的なものがある。宗教を「〇〇教」という宗教別に縦割りで見るのではなく、横割りで眺めてみると、そこにはグラデーションが見えてきます。その一番上の透明なところは、共通する「愛」である。原理主義的な真っ黒い部分から人を救いたい。
別の宗派の教会に話を聞きに行くという人を「ぜひ行っておいで。そして、どんないい話だったか、帰って来たら聞かせて」と送り出したい。「そこには行くな」には愛がなく、 思考停止した二元論に逃げ込むだけです。『沈黙』はまさにこの現代のこと。
福音を聞いて、すべての人が、すでに救われていることを知りましょう。洗礼を受けるから救われるのではなくて、救われていることに目覚めたから洗礼を受けるのです。
現代のキリスト教の中にもなお残る原理主義には危機感を感じます。原理主義的な教えから人を救うことは大変なこと。洗脳からの脱却の途中過程で「やはりそこに戻らないと救われないのではないか」という危惧にかられる人が少なくないから。とらわれている人を救わなくてはいけない。
分断と排除の時代を終え、普遍主義への第一歩を歩みましょう。普遍主義こそが、人類が生き残って行くための道です。そのために、普遍主義的な言葉と普遍主義的な集いを車の両輪として、血縁主義も乗り越えて、福音によって結ばれている「福音家族」と共に歩んで行きましょう。
日本におけるキリスト教は始まったばかり、いや、まだ始まってもいない段階です。

*****

晴佐久神父様は、映画『沈黙』に対する日本の聖職者のリアクションを「アジア・ミッションジャーナル」誌から依頼され、スコセッシ監督もすでに読んでいるという文章を講演中に読み上げてくださいました。その文章は、日本における救いの現場からの声として、世界から高く評価されているそうです。
なお、福音家族として、多くの方たちとさまざまな「いっしょごはん」を営まれている教会の活動では、フードバンクを始めるそうで、上野教会への保存食品の寄贈も募っていらっしゃいました。住所は上野教会のホームページでご確認いただけます(持参、もしくは送付で。受付の関係上、日・木の午前10時から午後2時に、お願いします)。

晴佐久昌英神父

1956年東京生まれ。上智大学神学部、東京神学院を卒業後、1987年に司祭叙階。
現在、カトリック浅草教会、上野教会の主任司祭を兼任。
映画、演劇、赤ワインが大好きで、夏の無人島滞在は30年近く続く。被災地をたびたび訪問し励ましている。著書多数。
ASFでの講演会は上智大学創立100周年の2013年から始まり今年で5年連続開催中。

文/大橋慶子(82文国)

 
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