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オールソフィアンの集い 
晴佐久昌英神父講演会「復活ということ」開催報告

2018年06月06日

5月27日(日)14:00~16:00 6号館(ソフィアタワー)1階101教室

5月27日、「オールソフィアンの集い」恒例の晴佐久神父様の講演会が行われました。
今年のテーマは「復活ということ」です。
キリスト教における復活は、『死んでからよみがえる』という未来の話でしょうか? 復活する人と復活しない人がいるのでしょうか? 天国に行く人と地獄に行く人がいるのでしょうか?
晴佐久神父様の説かれる「復活ということ」とは? 神父様が大事にしている「いっしょごはん」と「福音家族」のお話を軸に、400人の聴衆に向かって晴佐久節が炸裂する熱い2時間でした。


昨日は「うぐいす食堂」の日でした。ホームレスの方達と一緒に上野教会で月に一度お食事をする日です。赤ワインも一緒に飲みました。中にはなかなか詳しい方もいらして、「さすが神父様は、パンとワインを配るのがお仕事なんですね。」と(笑)。
いつもコース料理で、室内でテーブルに一品ずつ出してゆっくり食べるんです。丼ではないんです。コース料理だと、そこにいて一緒にお話しをする時間が長くなる。そうして、だんだんに信頼関係が築かれて、最初は数名だった参加者のホームレスの方が、今は15名に。嬉しいですね。

実は、復活というのは、もう始まっているのです。やがて神の国が来るから今は我慢しましょうという話ではないんです。今ここに神の国がすでに始まっている。

「復活はもうここに始まっている」

このことが大事です。
たしかにイエス様は復活して、ここにおられ、我々と1日1日を分かち合っていらっしゃるのです。
もしこれが信じられなければ、復活は絵に描いた餅です。

ホームレスの方達とも毎日一緒に食べられたらいいけれど、こうして少しずつでも、神の国は作ることができる。食事を共にして小さなお祝いを重ね、完全な復活に向けて、一緒に復活の喜びを実現させて行くのです。
「あの人は復活した」「あの人は転んだ」というのはナンセンス。
イエス・キリストの死と復活により、すべての人は皆復活に向かっています。私を包んでいる神様の国に生まれ出でて行く、それが復活です。そのことに気づいていないと恐れや疑いの中を生きて行かなければならない。洗礼を受けようと受けまいと、理解していようといまいと、十字を切って、復活に入っていくことができます。今ここにはないけれども、どこかに素晴らしい世界があるという話ではないんです。

キリスト教について、「深い森の中に素晴らしい福音の花が咲いている、それを探しに行きましょう」と表現される方もいて、一定のロマンチシズムは感じられますが、私の考えは違います。

「その素晴らしい花を、救われているとは思っていない人に届けて、あなたはもう救われていると伝える」。それがキリスト教です。
「あなたはもう救われている」という一番大事なことを伝えていない人が多すぎます。それは、ただのラブ&ピースという話ではない。
「愛し合いましょう」と言っても、それがないところも多い。そんな自分達を、自らの命を捨てることで救ったイエスの愛、それが弟子たちに熱量をもって伝わった瞬間があります。イエスの復活は弟子たちの復活でもあります。この核の部分を今の教会はどれほどの情熱を持って伝えていますか?あの頃のペトロ・パウロの熱量といったらありません。

病気の心配、戦争の心配、災害の心配・・・。どのみち、人は必ず死にます。しかし、復活を忘れてはいけない。今日、この会場から外に出て行く時、すでに死と再生を経ているように自覚して欲しい。
復活は誕生であり、決定的に新しい段階に入って行く。元に戻るのではない。
今日のミサの福音でも「私は世の終わりまであなた方と共にいる」とイエスは約束しています。
イエスは復活したのであって、もとに戻ったのではない、マイナス10になったけれども、プラス1000になったくらいの、まったく新しい段階の世界に入って行った。

この世が苦しみに満ちているならば、最初から天にいたらよかったのだろうか? わざわざ苦しむために生まれ出て来ることはなかったのか? いや、共に生きることも、傷つけられたことも、無駄なことなど何ひとつなく、皆がつながって復活の栄光の世界に入って行く。
我々は、生まれて来なければ決して味わうことのない世界を体験して行く。「さぁ、ここからが出発」という始まりの時が、復活です。

さて、去年からお話ししている福音家族について。
「うぐいす食堂」を昨日外でやったのは、実は上野教会に一番近いところにいるホームレスの方のためでした。以前はお誘いしても来なかったので、食事を届けていましたが、次には食事を取りにいらした。でも中には入らなかった。建物の中に入ることがその方にとっては越えられない壁でした。
じゃあ、皆の方で外に出ようということになり、皆で外に出て焼肉を焼いた。その方はベンチに座って、他の人と一緒には外でもテーブルを囲まなかったけれども、喜んでいた。神の国がチラッと見えるような瞬間だった。
ホームレスの方達は、この世界で生きるのが苦手で、この世界からはずれたところですごしていて、実は神の国に近い方達という気がする。そういう方達に「関わらせていただいていいですか? 自分はあなたのように生きる勇気はなくて・・・」という気持ちです。

実は、イエスご自身がホームレスのようでした。人のところに転がり込み、3年間人に食べさせてもらっていた。ホームレスの方達に食事を提供することは、イエス様に仕えさせていただいているような感じがします。
この活動に対しては、一部のホームレスの人にコース料理など提供して贅沢をさせるのではなく、もっと大勢の人に配ったらどうか?という意見を持つ人もいる。でも、私がしたいのは、福祉ではなく、家族のことなのです。イエス様だったら、自分がおいしいものを食べたら、家族みんなにも同じものを食べさせたい・・・と思ったに違いない。
少しでも多くの人に食べさせたい、ということと、家族に食べさせたいということは、ちょっと違うんです。福音家族として、血縁を越えたつながりを大事にしたい。

もし、上野教会だけでは足りないというのなら、どこの教会でも「うぐいす食堂」のような試みをしてみてはどうですか?皆、神が出会わせてくれた家族。そのような出会いはたくさんあります。

かけらでも、おままごとのようなものでもいい、それをしているうちに神の国が見えてくる。
何か、誕生の時が近づいてきている感じがします。天の宴がもう始まっているんです。
全員、皆つながって、神のもとに生まれて行く、その時、この世で経験した苦しいことにも意味が見つけられる。信じましょう、と言ったことを皆も信じて、ひとつにつながっていく。血がつながった家族でもやってくれなかったことを、福音家族がやってくれるのです。

「私一人の復活」では意味がないです。皆の復活がたいせつ。天国に自分だけ救われて行っても、地獄にもし母親がいたらいやじゃないですか。個人だけの救いは変だし、矛盾しています。もし、この中(講演会場の中)の誰か一人でも地獄に行くのであれば、私も、一緒に地獄に行きます。
復活はみんなでするものです。

(文/82文国 大橋慶子 構成/82文仏 鈴木真理子)

 
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