今からちょうど百年前、1908年のことです。時の教皇ピオ十世は、三人のイエズス会士を日本の地に遣わしまし
た。「日本の都にカトリック大学を」というフランシスコ・ザビエルの夢をかなえようとしたのです。
日本にやってきた三人のイエズス会士は、多くの人の助けをえながら、地ならしをし、土を作り、懸命に働きました。そして蒔かれた一粒の麦が、五年後ここ紀尾井町の地に芽生えたのです。
私たちの母校、上智大学の誕生です。時に1913年(大正二年)4月21日、ヘルマン・ホフマン初代学長のもと、「東西の文化交流、思想交流」を目指し、一粒の麦がその頭をもたげたのです。
ようやく育った穂についた最初の実は十六粒(上智大学史資料集第二集)。空腹を満たすにはあまりにも少ない数ですが、この麦は再び日本の、そして世界のさまざまな地に蒔かれ、根付き、殖えていきました。
あるときは金色の穂として輝き、またあるときは大地に溶け込んで、蒔かれた土地を彩り、また豊かにしていきました。
その麦も百周年を目前に十万粒を数えるほどになりました。今日も世界のあちらこちらで、陰になり陽になりながら、百年前の三人のイエズス会士
のように、さまざまな形で社会を支えています。
今年の「オールソフィアンの集い」は我らが母校、百周年へのカウントダウン。
十万粒が集まって百年祭序章の幕開けです