SOPHIANS NOW No.178 Autumn 2015
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Sophians Now2ベーゼンドルファー物語 ― 上智大学校歌誕生秘話 講堂から408教室へ 上智大学校歌が初めて歌われたのは1932年6月14日。その日、関東大震災で崩壊した旧校舎に代わり、新校舎として建設された今の1号館2階の講堂でその落成式が行われ、そこで初めて校歌が歌われました。 その様子を、「上智大学50年史」は次のように伝えています。 「来賓、教授、学生一同着席すると、奏楽があり、一団の学生がうやうやしく校旗をささげて入場、階段を踏んで壇上にのぼり、演説台のわきに旗を立てた。(中略)やがてホフマン学長が嵐のような拍手に迎えられて登壇。(中略)ふたたび奏楽があり、やがて新作の上智大学校歌が全員により力強く合唱された」 このとき、ベーゼンドルファーは講堂の舞台上(現在劇場となっているその舞台とは反対のソフィア通り側)にありました。「ドイツ人の神父が運んできた」とだけ伝えられるこのピアノがいつからそこにあったかわかりません。 しかしこのとき壇上にあったベンゼンドルファーが、初めて歌われた校歌の伴奏をしたことは容易に想像できます。当時の写真を見ると、校歌を伴奏するような楽器がほかには見当たりません。50年史のいう「奏楽」はこのピアノだったと考えるのが自然です。 しかし、その後はほとんど弾かれることもなく、講堂の舞台片隅に鍵をかけたまま放置されます。その状況を知った合唱団体の学生が「このピアノを使わせてほしい」と大学側に交渉、1970年代中ごろに2階の講堂から、彼らが練習場として使っていた今の408教室に運ばれたのです。 華麗なる音楽一族 このように、上智の校歌は1号館落成に合わせて作られたのです。歌詞は学内に公募し、文学部哲学科に在籍していた逸見貞男氏(1933年卒)の詩が選定されます。 一方、曲は山本直忠氏に委嘱されます。その経緯はどうだったのか。直忠氏の孫である山本純ノ介氏(千葉大学教授)は「祖父は当時麹町の三番町に住んでいて、上智のホイヴェルス神父さま(ヘルマン・ホイヴェルス=第2代学長)と親交がありました。聖イグナチオ教会でオルガンも弾いていたようです」と証言しています。 山本家は有島武郎や与謝野晶子などの流れを汲む名門で、直忠氏はホイヴェルス神父の戯曲「受難」を作曲するなど強いつながりがありました。 直忠氏は暁星中学を卒業後に山田耕筰の紹介状を携えて日本を離れ、南米やポルトガルを経て渡独、その後ライプツィヒ国立音楽院(現ライプツィヒ音楽大学)の作曲理論科に入学します。同音楽院を卒業して帰国(1931年)直後、ホイヴェルス神父の依頼で上智大学の校歌を作曲したものと思われます。氏は1904年生まれですから、20代半ばで上智の校歌を作曲したことになります。 直忠氏はその後東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)の教授や新交響楽団(現・NHK交響楽団)の指揮者などを務め、南山大学でも教鞭をとりました。ちなみに、ご子息は日本を代表する音楽家の山本直純氏で、テレビ番組「題名のない音楽界」などを覚えている人も多いと思います。 名曲を歌い継ぐ 1号館の講堂で初めて校歌が歌われたとき、作曲者の山本直忠氏がこのピアノで伴奏したと考えるのは、あくまで想像の域を出ません。しかし、彼は聖イグナチオ教会のオルガン奏者でもあったのですから、校歌初披露のこの場で作曲者自らが「ウィーンの至宝」で伴奏するというのは自然な成り行きのようにも思えます。 いずれにしても、このようにして誕生した校歌は、それぞれの世代の上智大学生によって現在まで80年以上歌い継がれてきました。名曲だと言われています。ソフィア会がかつて制作した「校歌CD」の音楽監督を務めた千住明氏(作曲家・編曲家・音楽プロデューサー)は「上智大学校歌は日本に入ってきたばかりのドイツ和声のしっかりとした基礎を踏まえて作曲されたものですから、変えてはいけない風格、気品などベーシックな部分はそのままにしました」と語っています。 日本の合唱界の重鎮で、上智校歌の男声4部の編曲も手掛けた多田武彦氏は「上智の校歌は早稲田大学校歌に比肩する名曲であり、作曲上もっとも重要な“楽式論”を正統的に守り抜いている。その結果、詩曲ともに重厚さと清廉さを併せ持つ校歌となっている」と高い評価を下しています。 この校歌誕生に深くかかわったベーゼンドルファーは、たぶん上智大学創立時にドイツから持ってこられたのでしょう。カトリックの学校は基本的に音楽を重要な学科に挙げていますから、ピアノは必須の教材。上智大学創立に合わせて「ドイツ人神父が運んできた」との証言は正しいものと思われます。 そのベーゼンドルファーが、今ひっそりと408教室に置かれたままになっているのは、すこしさびしい気もします。山本純ノ介氏 上智大学は現在、四谷キャンパスの新たなランドマークとなる新6号館(ソフィアタワー)を建設中です。完成は2016年12月の予定で、完成すると地上17階、高さは77メートルとなり、四ツ谷駅から目の前にその勇姿がそびえたつ姿が見られるはずです。 ソフィアタワーには「言語教育研究センター」や「グローバル教育センター」といった上智のグローバル教育機能が集約されるほか、800人規模のホール(大教室)も設けられる予定。そして私たちソフィア会にとってのビッグニュースは、この7階にソフィア会の事務局やソフィアンズクラブが入ることでしょう。 現在は別の場所に置かれているソフィア会の2つの拠点が「新ソフィアンズクラブ」として集約され、スペースも大幅に拡充される予定です。現在、大学側と連携して、卒業生同士の交流の場として、また集会やイベントなどが快適に開催されるよう、機能的でエキサイティングな「施設づくり」を検討しています。 写真は、秋季全国代議員会が開催された日(10月24日)のソフィアタワー。80年前に「上智の殿堂」として建設された1号館から見た様子で、10階までの鉄骨が組みあがっていました。昔の学生会館や学生食堂、男子寮があった場所といえばお分かりでしょうか。上智の新たなランドマーク「ソフィアタワー」建設中です。

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