同級生の皆さんに聞く 学生時代の豊田圭一さん

こんにちは! ASFも開催直前となりましたね。

そこで今回は、前回の船橋力さんの学生時代に引き続き、ASF2019実行委員長を務める、豊田圭一さん(92 経経卒)の学生時代を知るご学友の皆さんにお話を伺いし、豊田さんの知られざる素顔に迫りました!


最初にご紹介するのは、「学部の後輩」から見た豊田さん。
写真家GOTO AKIさん(95年経営卒)の証言です。

『豊田さんは、僕の2学年上の先輩。いつも自信満々で、話が面白く、学食で「インド旅行とバックパッカーの話」に引き込まれた記憶が残っています。今から思えばインターネットもないアナログな時代、生々しい旅の話を聞かせてくれる、貴重な情報源の一つが豊田さんだったような気がします。口だけの人が多い世の中で「やる」を信条にしている豊田さんは、時を経て、今もインドとビジネスで関わっているというのだから、その生き方は筋金入り。僕から見ると、行動が伴っていて、いつもあの頃と変わらないかっこいい先輩のままなのです。』

ASF2019実行委員長であり、ご自身もグローバル人材育成事業に尽力するほか、様々な国で事業を手がける豊田さんの実行力は、学生時代から積み上げられてきたのですね。
グローバル社会の第一線でご活躍されている将来の姿が、この証言からよく分かりますね。


次にご紹介するのは、「学科の同級生」から見た豊田さん。
小塚隆久さん(92年経経卒)の証言です。
小塚隆久さんは、学科のクラスや英会話サークルが豊田さんと同じであり、卒業後に勤めた清水建設でも同期の親友です。

『The curious and red man. 一定の型にはめて「こういう男だ」と彼を端的に言い表すことは難しいが、強いて言うとこんなところか。あらゆることに好奇の念を持ち、一度関心を持ったことはよく探究かつ熱中しつくす。

彼の読書は分野の広さも量も当時から相当なものだった。 落合信彦の本を読んで、自分なりの実践的な勉強をすると宣言していた。そして実行した。また,大坂の陣の「真田丸」で有名な真田幸村がその兵団を赤で統一していた経緯や理由を夜通し教えてもらったこともあった。彼自身も赤を好んでいて,服や身につけているものから彼には赤いイメージを強く感じた。

心に芽生えた関心事には燃え上がる炎の如くその熱意を注ぐ。所属サークルでドラマを演じることがあった。そのときは恋愛ストーリーの主人公役だったのだが、稽古中は言うまでもなく、稽古以外のときも主人公に成り切る役作りをした。さながらプロの俳優の如くだった。本番でも熱く演じて観客を感動させた。そしてそれ以上に自らが感じ入り、終演後には大いに感激して泣いていた。

好奇心と熱意に加えて正直で誠実さもあった。一見、人前で話すことはお手のものといったように見えていたが、「すごく緊張する」と正直に吐露していたことが思い出せる。人と接するときの真剣さ,人の話を一生懸命に聴く姿勢も印象に強い。約束も必ず守ろうとした。その人柄で,同学年だけでなく年長者にも好感を抱かれ、多くの後輩にも慕われていた。』

この証言から、豊田さんの信念の強さや激しく燃え上がる情熱が伺えます。また、努力家であり、その姿からはカリスマ性も見出すことができますね…。

前述の通り経済学科を卒業なさった豊田さんですが、意外なところからも証言をいただきました。次は、「英会話サークルの同級生」から見た、豊田さんをご紹介します。
下国良子さん(92年仏語卒)の証言です。

『ひとことで言えば自由人。男女問わずモテる。ずるいくらい人気者でした。
英語サークルという地味になりがちな組織の中で、海外経験があり英語が話せてイケメンの豊田くんは、ご想像の通り、ひときわ目立っていました。

彼を象徴するエピソードが、ソフィア祭での活躍ぶり。サークルの出店の前で、両手を広げて「ストーップ!」と言いながら通せんぼ(主に女子が対象)。そのまま口説き落としてクレーブとタコスを買ってもらうまでの鮮やかな呼び込みのおかげで、サークル史上過去最高の売上を達成。人を巻き込みながら、最高の結果を出すリーダーとしての資質が伺えます。』


また、同じく英会話サークルの友人、御園哲弥さん(92年経経)からも証言をいただきました。

『豊田さんの現在の姿を見ると、私などは年をとったものだと思いますが、彼は今とさほど(見た 目も、思考も、行動も!?)変わらず、当時から若々しく、活き活きしてました。
だから彼のそばには先輩や後輩も含めて多くの人が集まってきていました。
そんな豊田さんの一面を伺える工ピソードです。

①「格好いいこと」が好き!!
若かったこともあったのでしょうが、「格好いい」と思うことに感化されやすかったですね。
後の豊田さんの著書「すぐやる人」シリーズに活かされていたのでしょうが、当時、はやっていたトム・ クルーズやチャーリー・シーンなどの映画を見て、「すぐに」真似してました。

そのトム・クルーズが主演した映画の中から
「力クテル」を見て、(当時はお酒があまり飲めなかったくせに)バーテンダーに憧れ、バイト探し。
面談で「最近多いんだよね~」と言われた。結局バーテンダーにはなれず… 。

同じく「トップガン」を見て、バイクに彼女を後ろに乗せて、突っ走ることを夢見てたよね。
急ブレーキかけたり…。実際、どうだったかは本人に聞いてみてください!

②熱い思いを語る!!
溢れる思いや夢を語る豊田さん。自然と彼の周りには人が集まってくるのですが、自分の好きな ことだけではなく、日本の将来も案じていました(!?)
資源のない日本の将来を案じ、豊田さんが提唱したのは 「Jaustralipon」プランです。「日本とオーストラリアを統合しよう!」。
スケールの大きさが違います。
そんな豊田さんだからこそ、今のようなグローバルに活躍する仕事を選んだんでしょうね。

今回、ASFの実行委員長を豊田さんがされると聞き、彼ならいつかそうなるだろうなと思っていましたし、素晴らしいASFをまとめ上げてくれると思っています。
頑張ってください。』

ASF2019実行委員長として、令和初のALL SOPHIANS’ FESTIVAL2019を手掛けてきたリーダーシップや何事にも熱心に取り組む姿勢は、学生時代から発揮されていたのですね。


では、最後にご紹介するのは、植竹茂さん(93年 経経卒)の証言です。

『豊田くんとは学生時代から社会人に至るまで、かなり頻繁にスキー、スノボに行っていました。大学1年の冬、サークルのスキー合宿の幹事に任命された我々二人は、「下見」と称して野沢温泉に無料で行きました。その頃は豊田くんが負けず嫌いだとは思っていなかったので、楽しく初滑りを堪能し、帰京しました。そして、2か月後のスキー合宿を迎え、びっくりしました。彼のスキーが上達していたのです。どうも私の鼻を明かしてやろうと密かに練習していたらしいのです。見た目は常に涼しげにしていますが、意外に負けず嫌いの努力家なのです。』

『豊田くんとは大学3年時の夏休みに欧州旅行をした仲です。マルセイユの波止場で集合し、コートダジュールへ。石だらけの海岸に閉口しながらリゾート気分を味わった後、フィレンツェで皮ジャンを買い、それを着て、スイスのツェルマットの万年雪でスキーという暴挙に。楽しかったですね。しかし、いくら夏とはいえ、スキー場で革ジャン/ジーパンの我々は明らかに浮いていましたね。
「これが良い、格好いいと思ったことはすぐに実行する」彼の信条がそのまま出た旅でした。我々は途中でお互いの所用があり別行動になるのですが、3週間後にベネチアの駅でばったり出会い、2人で朝食を分け合ったのも良い思い出です。』

『直感的に良いと思ったらすぐに行動する豊田くんですが、意外にも以前は「感動した」ということを表現するのは苦手な、むしろShy boyだったように思います。私が言うのもおこがましいですが、彼は学生生活を通して、また現在に至っても素晴らしい先輩後輩、友人に囲まれ、コミュニケーション能力を伸ばしてきたのではないでしょうか。今回ASFの委員長を拝命したと聞き、友人の一人として非常にうれしく思っているのです。』


豊田さんの学生時代を一言で表すならば、「カリスマ」です。何事に対しても情熱と熱いハートで果敢に挑み、また自らの信念を貫いて前へと進んでいく姿は、ASF2019実行委員長であり、ご自身もグローバル人材育成事業に尽力するほか、様々な国で事業を手がける、今日の豊田さんのカリスマ性へとつながっているように思います。

ASF2019のテーマは、「ホームカミングデー」。
みなさんも学生時代や現在のご自身の生活を振り返り、今へとつながる「原点」に立ち返られてみては、いかがでしょうか?