そもそも「銅祝」って…?
銅祝のルーツを探る
「銅祝か、めでたいなー」と言ってはみたものの、卒業して15年、だから何なんだ???と思っているそこのあなた。
この銅祝式典という行事が実施されるようになった経緯をここで明らかにしておきましょう。
これを読んでおけばあなたも、胸を張ってASF2006に参加できますよね!

★始まりは銀祝(卒後25周年)から

上智大学では1965年(昭和40年)から、卒業式の日に卒後25周年を迎えた同窓生を招いて祝う「銀祝の会」を行なうようになりました。これは当時の大泉孝第5代学長が、慶應義塾大学で行なわれていた会に倣って発案されたもので、大学を巣立って25年の節目の年にあたり、往時をしのぶと同時に、新たに卒業する後輩と同席して励まし、先輩同士は旧交を温めることを目的に行なわれました。このときの銀祝懇親会は上智会館特別会議室で開催されました。
(慶應大では1953年(昭和28年)からこうした会を設けているが、特に金・銀といった名称は用いていないとのことです。また、慶應大には卒後15年の会はないそうです。)

★金祝、そして銅祝の創設

その後、卒業から50年を経た同窓生のための金祝の会が、1976年(昭和51年)に創設されることになりました。そして、金・銀があるなら銅も…ということだったのでしょうか? 1981年(昭和56年)に卒後15年の銅祝の会がめでたく追加されることになったのです。
それまで金・銀祝は3月の卒業式後に開催されていたのですが、銅祝が加わったこの年から、5月の「オールソフィアンの集い」時の開催へと変更され、現在のスタイルになったようです。

★銅祝を楽しもう

こうした歴史的経緯からも明らかなように、もともと「節目の年に往時をしのぶ」目的で作られたのは卒後25周年の銀祝でした。15周年の銅祝は、その「おまけ」のようなもの? 確かに卒業して「まだ15年」と思う人は多いかもしれません。すでに社会人としての地位を築き上げた銀祝の先輩方と比較すると、われわれ銅祝の同窓生はまだまだ職場で奮闘中、子育て真っ最中、自分探しの道の途中…といった感じで、「往時をしのぶ」にはまだ早すぎるかもしれないですね。
しかし、だからこそここで一旦立ち止まって、自分のこれまでの道のりを振り返ってみるのも、ちょっといいと思いませんか?
そう、いずれ訪れる「銀祝」そして「金祝」の日を見据えて、これからの人生を元気に生きていくためにも、銅祝というこの機会に、私たちも集まって一緒に楽しみましょう!

このページの記事は以下を参考にさせていただきました。


「金・銀・銅祝式典のあゆみ 伝統的な行事のルーツを探る」
塚原 嘉平治 氏(昭和16年卒 文学部新聞学科)
上智大学新聞学科同窓会報 第27号(1995年発行)掲載

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