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ロバート・バロン先生

ロバート・バロン先生

私の偉大な恩師―ロバート・バロン先生

あれは約30年前だっただろうか、私がバロン先生の研究室を初めて訪れ、先生の研究室の前に立ってノックをしようとした時、中からパイプ煙草の心地よい匂いがしてきた。私の父もヨーロッパに留学していたせいか、パイプがとても好きで、子供のころ父の書斎に入ると同じようなパイプ煙草の匂いがしていたことを思い出した。
バロン先生には私の父のような親しみを感じ、先生の研究室に足が向くことが多くなり、先生の研究室にお邪魔して、英語で様々なことを話し合う機会を頂戴した。生きた英語の勉強になった。また先生と話していると、心がとても落ち着くのを覚えた。パイプ煙草の匂い、やさしい眼差し、そしてどんなことでも真剣に聞いて下さる先生の姿は、今でも目に焼き付いている。
先生の実業界での人脈の広さは、とても驚くべきもので、故アベグレン先生をはじめ、多くの有名な学者や実業家をご紹介頂いた。このことが、その後の私の人生に、とても大きな影響を与えてきていると思う。
バロン先生は、企業経営、特に経理の専門家であると同時に、人事、人材開発についてもとても詳しく、時々様々な指摘や提案を頂いたことを思い出す。会社で組合との話し合いの矢面に立って解決を強いられていた時、先生のお話はとても勇気づけられ、参考になった。
約20年ほど前だったか、会社で米国への転勤を命じられ4年間赴任したが、その時先生は、とにかく米国の大学院を卒業してくるように勧めて下さった。と言うのは、どうすれば上智の比文で教鞭をとれるかその前に先生に伺っていたので、米国の大学院のMBAをとってくれば、教える機会があると教えて下さったのだ。4年後に日本に帰国して、久し振りでご挨拶に伺い、赴任地のアリゾナ州立大学のMBA for Executivesを修了してきたことをお伝えしたら、とても喜んで下さり、早速、比文で財務・経理の授業を英語で教える機会を頂いた。
その後も、交換留学生に対する人材開発や人事の講義もさせて頂いたし、EUに関する話し合いの場に参加させて頂いた。様々な機会に気軽に招いて下さった。
バロン先生との出会いがなかったなら、多分私の人生は違ったものになっていただろう。それほど私の人生の節目で、先生から的確なアドバイスを頂いたと思っている。
今先生が生きておられたなら、他大学にはない、上智の特徴を生かした、全て英語で教える「上智ビジネススクール」、あるいは、社会人対象の「MBA for Executives」が実現できたかもしれない。バロン先生や豪華な講師陣と共に、何人かのソフィアンの有志が結束して実現したかった大きな課題であり、夢である。バロン先生もそれを願っておられたのかもしれない。

戸川 宏一(63経商)

上智大学で一番怖かったバロン先生

1975年4月、初めてバロン先生のゼミの説明会で初めてお会いしました。
授業は、英語で行いますので無理だと思われる方はおやめ下さい。
と言われて参加者が半分くらいに減り8名ほどのゼミとなりました。
John Lynch先生のTowards an orderly market(Japan's voluntary quota in cotton textile exports) が教材で、久しぶりに本を開いてみるとテストの答案が2枚挟んでありましたが、点数は、内緒です。
質問されて答えられないと徹底的に質問攻めにあう授業が懐かしく思いだされます。
そのおかげでずいぶん鍛えられました。
現在では、英語でゼミを行っているところはないのでしょうがちょっと寂しい気がします、英語で授業できる先生は経済学部にも沢山いらっしゃるのに。

大学卒業後、すぐにナイジェリアの水力発電所に出張を命じられ一年半程を過ごしたのちに帰国の際、当時の首都ラゴスの飛行場の待合室でたまたま隣に座った二人の銀行家の方がベルギー人で、ゼミの先生がベルギー人だったんですよと言うと、その二人が同時にバロンさんじゃないのと言われたのにはさすがにびっくりいたしました。
東京に戻りその二人の名刺を見せてその話をしたところ、先生は「その人たち知りませんね」という返事にもまたびっくりでした。

最後に37年間の長きにわたり先生をサポートして下さり、今回も貴重な写真や略歴を提供くださった濱端さん、ありがとうございました。

田村 隆 (77経経)

バロンゼミに感謝

仕事柄、年に何回か海外取引先で英語でのプレゼンテーションを行います。慣れているとはいえ、相手が重要な取引先の場合や聴衆が大勢だと今でも緊張しますが、その度にバロンゼミで初めて英語でプレゼンをした時の先生の言葉を思い出します。「君は所詮外国人。しかも経済学部なのだから、うまく話そうと思わず専攻分野の内容で勝負しなさい。」ベルギー訛りのバロン先生の言葉だけに説得力がありました。
現在では、パワーポイントなど便利なプレゼン・ツールがありますが、当時は、原稿と自前の資料、自分の声だけが頼り。しかも発表の順番はABC順なので名前がABEのぼくは初回。バロンゼミには外国語学部の学生も何人かいて特に女子学生は一言聞いただけで「出来るな!」と思う綺麗な発音で話していましたので図々しさが全くなかった当時のぼくにはプレッシャーでした。その頃、上智の学生食堂では昼からビールが飲めたので、伊達さんと授業が始まる前に何杯か飲み干してプレゼンに挑んだのですが、アルコールに免疫がなかった為、緊張を解すどころかほろ酔い気分。プレゼンのテーマ「企業の海外進出」も忘れてしまうほどヘロヘロとなりながら原稿を読み上げただけで終わってしまいました。先生は黙って聞いていましたが、後で一言「熱でもあるのですか?」。猫に睨まれた鼠の心境となり正直に話したところ、先生の前述の発言となった次第です。更に先生はぼくの日本を批判した発言について触れて「その様に言うのは日本がかわいそうだ。君は日本人なのだから日本に誇りを持って話をするように」と付け加えられました。今でも、外国でプレゼンをする度に先生の言葉を思い出します。素晴らしい師に巡り会えて本当に幸運でした。

阿部松夫 (77経営)

幼稚園の経済学―ロバート・バロン教授の思い出

「伊達さん、これは幼稚園の経済学ですよ。」フランス語訛りの日本語でよく叱られたときに言われたバロン教授の得意のフレーズです。
授業は英語(フランス語訛りで)で行われ、IMF発効の「FINANCE AND DEVELOPMENT」による年次レビューをサブテキストに、金融からとらえた南北問題なども題材に取り入れて、国際貿易の秩序についてのゼミがおこなわれました。
ゼミは午後一番でしたが、悪いことに、午前の最後の授業が体育で、体は心地よく疲れた状態したが、ゼミの緊張感を取るために、昼食は、友人の阿部君とビールを飲んで、バロンゼミに出席(突撃)したものでした。
当然、英語ですから、バロン先生の口癖の「That is(すなわち)」 という言葉が発せられると、そのフレーズが「ダッテサン」と響くのです。
その言葉を聞くと、ほろ酔い気分の眠たい午後のゼミ授業も一瞬に目が覚めるのでした。
そして、無事、卒業を前に、卒論を作成するわけですが、当然英文レポート形式です。
残念ながら、タイプライターを持っていないので、他のゼミ生の美しいタイプ印字レポートのなか、手書きで一生懸命卒業レポートを作成しました。それが悔しく、社会人の初任給で、横浜西口の有燐堂に飛んで行き、約5万円のオリベッティ・レッテラブラック(タイプライター)を購入し、それから毎日15分ブラインドタッチでタイプができるまで、練習したものです。当時のタイプは指の力が必要で、小指を使うのが大変苦労したのを覚えております。その練習のお陰で、 30年前にはパソコンを初めて使用するときに大変ブラインドタッチが役立ったのは明らかでした。
卒業後、19年後、独立し、システムに関する仕事を始めましたが、その時役立ったのが、タイプで鍛えたブラインドタッチ能力でした。
バロンゼミの卒業英文レポート作成がタイプできない悔しさが、後になり、自分の生計を助けることになるとは、バロン先生のおかげと感謝しております。
ドクター・バロンは、亡くなられ、私の青春の大事なページの主人公がいなくなられたのですが、いまでもあのフランス語訛りの英語が懐かしく、そして、凛とした授業の進め方、鋭い経済・経営に対する洞察力は、いまでも上智大学に必要とされていると確信しております。ドクター・バロンは、マイスター的で、経済経営のプロとしての知識力、語学力、ベルギー人らしい律儀さ、クリチャンとしての凛々しさ、その半面おちゃめなところがあり、当時の日本人にはないユニークネスと真のグローバリズムがある方でした。
これからは、経済学部同窓会の経鷲会 戸川会長がいつも唱えておられるバロン教授の教えの延長線上にある、上智大学の経済学部におけるより高度な知識カリキュラム(例としてMBA)」を目指す必要があると思っておりますので、バロン先生の遺志と思って、微力ではありますが、その実現に努力したいと思っております。バロン先生、ほんとうにありがとうございました。

伊達万壽夫 (77経営)

ロバート・バロン先生
ロバート・バロン先生

ロバート・バロン先生略歴

履歴・職歴

1919年

4月28日 ベルギー国ラーケンにて生誕

1941年

ルーバン大学卒 (法学士)

1948年

初来日

1948年

広島、エリザベト大学講師

1957年

アメリカ・カトリック大学卒(経済学修士)

1957年

上智大学経済学部助教授

1958年

上智学院財務部長

1963年

上智大学経済学部教授

1964年

社会経済研究所(現・比較文化研究所)に「国際マネージメント・セミナーIMDS」を開設
主任として、海外から赴任してくる経営管理職者を対象に日本のビジネス慣習、経営文化を紹介するセミナーを開催。世界各国からの受講生は38年間に延べ一万人を超した。

1970年

上智大学社会経済研究所所長

1979年

アルゼンチン・コルドバ大学より経済学名誉博士号

1979年

上智大学外国語学部教授

1980年

ベルギー政府対外貿易問題顧問

1981年

ベルギー国より勲爵士賞

1984年

上智大学外国語学部特遇教授

1988年

欧州連合主催のExecutive Training Programme in Japan (ETP)のETP8期生から20期生(1988年―2002年)までのビジネス研修部門を担当

1989年

上智大学名誉教授

2004年

12月14日 ご逝去

主要著書

Doing Business in Japan (1967)
The Japanese Employee (1969)
Japan's Market and Foreign Business (1971)
Financial Behavior of Japanese Corporation (1988)
Foreign Competition in Japan: Human Resource Strategies (1992)
Stakeholding: the Japanese Bottom Line (2000)

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