オールソフィアンの集い2003年

映画「able」上映会 スピーチ抄録

― 5月25日 10号館講堂―



[
スピーチしていただいた方々]

[スピーチ抄録]   映画上映前   映画上映後

[「able」上映会を終えて]

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《スピーチしていただいた方々》

☆上映前のスピーチ

細川 佳代子 スペシャルオリンピックス日本 理事長(上智大学文英卒)

☆上映後のスピーチ

小栗 謙一 監督

渡辺 元(主演)

渡辺 ジュン(元君の母、上智大学社会学科卒)

司会 ASF2003実行委員

☆「抄録からの抜粋」

彼らはチャンスを与え、そして周りが一人ひとりを理解をしてサポートすれば何でも出来る、本当に純真なかわいい人たちなんだなということが、この映画で証明されたと思います。(細川佳代子)

こういう映画は一回作って終わりということでは、中々活動としては不十分だと思います。やはり、ひとつ映画を作っていけば、また同じテーマで続けたい。題材はいっぱいある訳です、問題はいっぱいある訳です。たまたま、この映画は渡辺元君と高橋淳君というすばらしい2人の少年がこの1時間40分を作ってくれましたけれど、いろんなケースがあります。ですから、色々なケースをひとつひとつ紹介していくことが私たちの仕事ではないかなと思っています。それで細川さんとご相談しまして、able2を今準備しております。(小栗謙一)

この子を育ててくる過程で、たくさんの上智の卒業生と思いがけず出会って来ました。何か社会通念と違った変わった催しに、面白そうだなと思っていくと、大抵そこに中心的な役割を担って上智の方がいらっしゃるんですね。すごく心強かったです。それで、今ここに立ってお話ししてますと、私が上智で学んだのは、今日のこの場面の、こういうことの為の準備として学ばせてもらったのかなという気持ちが、本当に今強くしています。(中略)

募金をしたり、映画のこういう仕事をしていくということに、他の大学と違うなにか独特な上智の役割というものを感じるんです。(渡辺ジュン)

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《スピーチ抄録》


[上映前]

<司会>
本日はオールソフィアンの集い、able特別上映会にご来場いただき、誠にありがとうございます。

オールソフィアンの集いでは、卒業生に久しぶりに大学に来て頂き、上智の校風である国際貢献やボランティア活動など、何か上智らしい気持ちを思い出して持って帰っていただけるような企画を毎年行っております。そして今年はこの映画ableをお届けすることと致しました。

この映画は、知的発達障害のある2人の青年のアメリカでのホームステイの姿を追った記録映画でございます。NPO法人スペシャルオリンピックス日本の細川佳代子理事長の呼びかけによりまして、日本の多くの方々に、彼らのありのままの姿を知って頂きたいという思いをこめ、たくさんの方からの募金によって作成された映画でございます。細川様は上智のご卒業で、本日はここにご出席頂いております。

また、映画の上映後には小栗監督と、映画に出演された渡辺元君とお母様のご挨拶を予定してございます。元君のお母様の渡辺ジュンさんも上智のご卒業です。

それでは、先ず、募金活動に奔走され、そしてこの映画の制作を指揮されました、スペシャルオリンピック日本の理事長でいらっしゃいます細川佳代子様にご挨拶をお願い申しあげあます。

<細川理事長>
「皆様、こんにちは。思いがけないことに、このオールソフィアンの日に、私どもが一生懸命作りました映画ableの上映会をして下さいました実行委員会の皆様に、まず心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

そして、お忙しい中をこの会場に足をお運び頂きました皆様にも心から御礼を申し上げます。ようこそおいで頂きました。5分程お時間を頂きましたので、私がなぜこの映画を作る決心をしたかといういきさつを少しご紹介させていただきます。

今から12年前の夏のある日、当時私は熊本に住んでおりまして、いつものことながら朝、朝刊を読んでおりましたら、地元の社会面に、大きな記事で「とも子ちゃんスペシャルオリンピックス世界大会で銀メダルを獲得」という記事でした。

その時私は始めてスペシャ ルオリンピックスというもうひとつの、パラリンピックと違うオリンピックが開かれているんだということを知ったのですね。とも子ちゃんてどんなお子さんかなと思いましたら、10才のダウン症で、殆ど耳が聞こえなくて、お話ができないという非常に重度の重複障害の女の子ということがわかりまして、私はもうびっくり致しました。

体操種目、床運動で銀メダルです。オリンピックの世界大会ですから、銀メダルというのは世界のナンバー2ですから、めちゃくちゃすごい天才少女が熊本にいたのかと思って驚いたんですね。

そうしましたら、とも子ちゃんに体操を指導した、ボランティアでコーチをなさった中村勝子という方の談話に「スペシャルオリンピックスに参加するアスリートは全員勝利者です。」と書いてあるんです。そして「最後までベストを尽くして、あきらめずにゴールを目指してがんばった子が皆勝利者です」と書いてあるので、えっ、何だろうこれは、と思いました。そして、その数ヶ月後に中村さんをお呼びして講演をお聞きした。もうまさに目からウロコという感動を覚えまして、それからスペシャルオリンピックスの活動を始めました。

とも子ちゃんがなぜ銀メダルを取ったかというお話をいたします。

スペシャルオリンピックでは予選で落ちる選手はひとりもいないんです。唯一の競技会に参加する資格は、最低8週間、定期的に毎週一般会員のプログラムのトレーニングさえすれば、8才以上、年齢が制限なく、上手であろうと下手であろうと、早く走れようと遅かろうが、とにかく日常日々のトレーニングを積んだアスリートなら誰でも参加できるという、そういうオリンピックなんですね。世界大会も地区大会も国内大会も全部そうです。

そして、では何のために予選をするかというと、その子のレベルをもう一度チェックするためです。そして決勝は同じ組で戦うんです。同じレベルですからみんなに勝つチャンスがあるんですね。そして、全員が表彰台に乗せてもらう。みんな表彰される。とも子ちゃんは、予選で4.0だったんですね。しかもレベル1という一番レベルの低いところで出たんです。そして予選で4.0、決勝の時は少し上手に出来て4.75。同じ組には4人しかいなかったんです。4点台だけで4人。その中でがんばったから4.75で銀メダル。ということで世界で2番目ではなかったのです。それでね、私はスペシャルオリンピックはなんてすばらしい競技会だろうと思ったんです。

一人ひとりのがんばり、努力、自分の能力に向かって挑戦する。勇気を持って挑戦してがんばっている子が讃えられる、そして認められるというのは、日本の教育界の失われた価値観ではないかと思って感動しました。

それともうひとつ、最初にスペシャルオリンピックを日本で始められたある学校の牧師さんが、こうおっしゃったんですね。「どんなに医療技術が進歩しても、人間が生まれ続ける限り、人口の約2%前後、知的障害の子供は生まれる。なぜならば、その子の周りにいる人たちに優しさを教えるための神様からのプレゼントだ。」知的障害の人たちは神様からのプレゼント。という話を聞いて、これもまた私はすごい驚きと、感動を受けました。そして早速熊本でスペシャルオリンピックの活動、日常トレーニングを励む、ほとんど家に閉じこもって余暇の活動も殆ど何も無いという知的障害の方たちに一緒にスポーツをしましょう、いろんな種目のスポーツを地域で、ボランティアによってやる、これが私たちのスペシャルオリンピックなんです。

最初私は、こういう人たちをかわいそうな人たち、不幸な人たち、運の悪い人たち、というような目で見ておりました。ところが、ずっと彼らと肌でふれあいスポーツを通して、もう障害のあるないに関係なく楽しく活動していると、本当に一人の人間としてものすごく敬愛すべき、本当に彼らは私たちの心をなごませてくれる、もう本当にすてきな彼らなんです。楽しくてしょうがなくなりました。それなのに日本中、みんな心のバリアがあって、日本は住みにくい、障害者が堂々と社会に出て行けない、何か白い目で見られる。または、冷たい目で見られたり、いじめられたり、ほんとに彼らを理解する人がいない。私自身も10年前に始めたときは理解していませんでした。ところがこの活動を通して、ある意味で私はかれらのよき理解者のひとりになれたと思います。是非、日本中の皆さんにそういうふうになってほしいという強い願いから映画を作ることにしました。皆さん映画を見てください。

うちの子なんか何にもできません、映画の主役なんか無理ですと200人の人に断られたんですけど、ついに元君のお母さんが決意しました。

それは、元君が自分で「ぼくアメリカに行きたい」と言ったのが、その一言がきいて、元君と淳君がアメリカに行き、それを小栗監督が丹念にカメラを回し続けて、何にも出来ないんじゃない、彼らはチャンスを与え、そして周りが一人ひとりを理解をしてサポートすれば何でも出来る、本当に純真なかわいい人たちなんだなということが、この映画で証明されたと思います。

100分でございます。どうぞゆっくり楽しんで下さい。彼らと一緒になってアメリカに行って、楽しんだ気分で、楽しいときは笑って下さい。悲しいと思ったらどうぞ泣いて下さい。彼らのあるがままの自然体に皆さんもなって、純真な気持ちでこの映画を楽しんで頂けたらうれしく思います。どうぞよろしくお願いいたします。」

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映画上映



[映画上映後]

<司会>
皆さま、いかがでございましたでしょうか。

アメリカのボランティアのすばらしさ、そして日本でもっともっと変えていきたい点など、色々なことをお感じ頂けたのではないでしょうか。

それでは、この会場に小栗監督と渡辺元君そして元君のお母様が駆けつけてくださいましたので、ご紹介させて頂きます。

ステージの方にお上がりいただけますでしょうか。

(ゲストの紹介)

それでは折角でございますので、ちょっとお話をお伺いしたいと思います。

小栗監督、大変いい映画を拝見させて頂きましたけれども、撮影中の元君と淳君、どんな感じでしたのでしょうか。

<小栗監督>
「はい、せっかく今日渡辺元君がここに来てくださってますので、アメリカでの様子を元君にちょっとお話してもらいましょう。

元君、アメリカではどんな経験をしましたか。

(元君が一生懸命回答)(会場より拍手)

今日はたぶん久しぶりに映画を見たんだと思いますが、アリゾナのキャサリンとマークとの生活が今の話のように非常に充実してたんだと思うんですね。私から見てますと3ヶ月間生活して、その生活をずっと撮影してたんですけど、おそらくアメリカという場所、アリゾナという場所が自分の家からどれくらい離れてて、どういう位置にあるかといった、そういう感覚をつかみきれなかったのではないかと思います。

そういう中で、毎日毎日、今までお母さんと生活してきた日々が、突然お母さんの元に戻れない、今日も戻れない。それが3ヶ月続いた。おそらくその中で、淳君と元君は、ほとんど我々との会話というのはないんですけれども、2人はひとつの部屋で本当に一生懸命我慢して、励ましあって、そして大人としての行動を、おそらく一生懸命とっていたんではないかと思います。

僕らも、お母さんが出来ていたケアをできるわけではありませんので、我々は我々の仕事があって、彼らにも彼らの仕事があって、そういう、ちょっと冷たいんだけど、大人としての付合いというか、そういったものが、あの3ヶ月のなかに彼らにも経験できたんではないかと思います。そういう意味では本当に大変だった経験だと思いますが、それがおそらく思い出として残っているのではないかと思います。

<司会>
監督がこの映画を撮ろうと思われたきっかけについて、お話し頂けますか。

<小栗>
「おそらく今日映画が始まる前に、スペシャルオリンピックについては細川さんが話されたのではないかと思いますが、もともと1999年にアメリカのノースカロライナでスペシャルオリンピックスの世界大会があって、当時は150カ国の国からアスリートが集まって、とても盛大な大会が開かれていますけれど、実はその時まで日本ではスペシャルオリンピックをマスメディアが伝えたことはなかったんです。地域地域ではあったと思うんですけど、全国ネットで全国的に放送した番組はなかったと思います。

それで、なんとかそれをきっかけに、全国ネットの番組を作ろうということになりまして、NHKに企画を提案して、BS日曜スペシャルの1時間の番組を作ることになります。それが私がスペシャルオリンピックと係わった最初なんですね。その時に細川さんのご説明を聞いている中で、こんなにいい活動があって、こういうことをやっていらっしゃる方がいるんだということにすごく心をうたれまして、それでなんとか企画を実現させようということになりまして、1時間の番組を作ることになりました。

ところが、やはり番組ですので一回放送してしまいますと、深夜の再放送もありましたが、どなたも見て下さらない時間だったり、で結局はスペシャルオリンピックスが普及していくところまでの効果を見い出すことが出来なかったんです。そこで、やはりこういう風に映画を作って、色んな方に見てもらう機会を作るべきだと考えました。それで、映画の最後にものすごく沢山のご寄付頂いた方のお名前が出ましたけど、皆さんの寄付のお力でこの映画を作った訳です。そういうことで、この映画は2001年の10月に出来て、これまでに、もうすでに8万人から9万人の方に見て頂いていると思います。

<司会>
それから、このableというタイトルでございますが、このタイトルに込められました監督のお気持ちをお聞かせ頂けますでしょうか。

<小栗>
1999年に現在のスペシャルオリンピックスのインターナショナルの会長をやっていらっしゃいますティモシー・シュライバーさん、スペシャルオリンピックスを創設されたユーニス・シュライバーさんの息子さんなんですが、その方の演説の中に、我々の活動は、もし名前をつけるとすればableという名前をつけてほしい、というのがあったんです。

実はこれ、よく考えてみると、ableというのは訳しにくい言葉だと思うんですね。「できる」とか訳してしまうと少し違うかなと思うんです。

例えば、知的障害という言葉、あまり好きな言葉ではないんですが、障害という文字そのものが、最近取りざたされていますけれど、「さえぎる」と「害」の2つで構成されている。果たして、こういう言葉を使っていいんだろうかという、いつも疑問を持っているところがあって、じゃあそれに代わる適切な言葉というのが日本語にないんですね。

また、英語でいうと、例えばメンタルハンディキャップとかメンタルリタデーション(retardation)、やはりマイナス的な要素、ラーニングディサビリティという言葉も使います。が、そうではなくて何か彼らの可能性を見て行く方が、問題というものをより超えていく為にはいいのではないか。ある意味で今まで回りの私たちはマイナス要素ばかり見ていたのではないか。そういうことから、このableというタイトルを使いました。

撮影の最初は、元君と淳君の生活を見ていって、なにが障害なんだろう、何が出来ないんだろう、という見方を、我々もカメラを通してしたんですね。

ところが、この映画を見て頂くとわかるように、彼らに出来ないことは無くて、出来る。ただそこには非常に時間がかかるということと、そして周りの人間がそこにきちっと付き合うということ、つまりそういうことがあれば、何でも出来るんだということなんですね。だから、出来ないことを見つけよう見つけようとしていると、何にも撮れないんですよ。そこで考え方を変えて、出来ないことを見つけるのではなくて、彼らと楽しんで生活をして、その生活を撮ろうということに変えました。それがこの映画になった訳です。そういう意味では、このableというタイトルは、色んな意味でこの映画にぴったりかなというふうに思います。

<司会>
どうもありがとうございました。それでは、今度は、元君のお母様の渡辺ジュンさんにも少しお話を伺いしようと思います。先ず、映画に出演するというのは、ものすごく大きな決断でいらしたと思いますが、その辺をお話し頂けますか。

<渡辺ジュン>
元のところにお話が来る前に、もう何人か監督は当たられて断られたというお話でした。それで、当然のように私も断りました。私だけでなくて、どんなお母さんでもそんなことは無理だと、聞いたらすぐ思いますから。子供を親から離して、アメリカに連れて行って、見ず知らずのお家に預ける。そしてサポーターは誰もついて行かないんですね。親も行ってはいけないし、普段スペシャルオリンピックスでコーチをしてくださっているボランティアの方とかも絶対について行ってはいけないということで、そんなこと出来る訳ないじゃないのと思って、即座に断りました。

だけど、やはりこのままではいけないという思いもあったんですね。親が抱え込んでいて、障害者の世界だけでこのまま一生暮らしていくのでいいのかなという思いがずーとあったんですね。それで、もし、飛び込んで行くなら、何か変化を求めて飛び込んで行くなら、今がチャンスじゃないかと、お話を断って受話器をガチャンと置いた後から、悶々とし始めまして、このチャンスを逃してどうするのかなって悩みました。

そして悩んでも悩んでも結論が出ないので、元に聞いてみたんですね。「小栗監督とアメリカにいく?」って。聞いたのは気休めで。元は、さっきも挨拶を聞いて下さってわかったと思うんですが、何か振ってもすぐにぱっと答えが返ってくる子じゃないんですね。だから、まあ、元に何も言わないで断っちゃうのも悪いと思って、一応きちんと聞いてみました。そうしたら「行く」ってすぐ言ったんですね。で、私は本当にびっくり仰天して、そんなことはこの子を19年育ててきた間に一回もなかったんで、これはただ事ではないと思って、やっぱりやらなくっちゃだめだなと。それで覚悟がつきました。」

<司会>
そして、撮影中の間、待っていらした間はかなりご心配でいらしたと思いますが、その間のお気持ちと、それから、撮影が終わって元君が戻って来られたときに、かなり成長されていたのではないかと思いますが、そのときお感じになったことをお聞かせいただけますか。

<渡辺ジュン>
最初、いない間の心配というのは、実は私は一切しませんでした。あまりにも決断するまでの覚悟が大きくて、そこが一番怖いとこだったので、えいやぁと飛び込んでしまったら、もう、荷物も全部小栗監督に預けた感じで、久しぶりに独身になったような気持ちで自由を楽しみました。

帰ってきてからはですね、帰って親の前に来ちゃうと全然出かける前と変わらないですね。だけど映画を見ると、親に見せてる顔と全然違う顔で生活して、出来ることも全然ちがうということも見せてもらって、ものすごくびっくりしました。今は、帰ってからもう2年経つのですが、ずーと何事もなかったように普通に暮らしております。だけど、親がいないところでは、やっぱりすごく大人になっているようです。それは、そとの方から色々とお話を聞いてわかります。そういうふうに、そとの世界と親に見せる世界を使い分けるというのは、これは私たちがやっていることと同じですので、そういう面を見せるようになったかなと、うれしく思います。

<司会>
それから、お母様は上智のご卒業でいらっしゃいますが、久しぶりに校舎にいらして、お感じになったことはおありでしょうか。何かソフィアンとしてメッセージを頂けますか。

<渡辺ジュン>
「私は、社会学科の栄えある第1期生なんです。卒業してから今年で33年になります。今日All Sophians' Dayにこうして自慢の息子を伴って帰ってくることが出来たことを、とってもうれしく思っています。

この子を育ててくる過程で、たくさんの上智の卒業生と思いがけず出会って来ました。何か社会通念と違った変わった催しに、面白そうだなと思っていくと、大抵そこに中心的な役割を担って上智の方がいらっしゃるんですね。すごく心強かったです。

それで、今ここに立ってお話ししてますと、私が上智で学んだのは、今日のこの場面の、こういうことの為の準備として学ばせてもらったのかなという気持ちが、本当に今強くしています。

それでね、今、気がついたんですが、元が着ているシャツは、ホストファミリーのパパの大学アリゾナユニバーシティのシャツなんですね。これ、カラーが上智と同じだと思いませんか。えんじとゴールドと黄色と。実は私は応援団だったんですけど、応援団に大きい団旗があって、この地にこの黄色の鷲がついているんですね。こういうのって、偶然じゃないなと思って、うれしく感じています。

それで、お願いなんですけど、さっき映画のエンドロールに名前がいっぱい出てきましたが、あれは、この映画を作る時に資金を提供してくださった方たちなんです。今見ながら思ったんですが、上智関連の名前がいくつが出てきましたが、もっともっと増やしたい。だって、サポートして下さっている細川佳代子さんも上智ですし、私も上智なんですね。

それで、やはり募金をしたり、映画のこういう仕事をしていくということに、他の大学と違うなにか独特な上智の役割というものを感じるんです。だから是非皆さんも、私たちの仲間に加わって、サポートをして頂けると、とってもありがたく思います。

よろしくお願いします。

(会場から大きな拍手)

<司会>
小栗監督、今募金の話も出て参りましたが、来月には、アイルランドでスペシャルオリンピックの世界大会がございます。そして監督は今そのアイルランドでable2を作成中でいらっしゃるとお聞きしたのですが、そのあたりをお聞かせ頂けますか。

<小栗>
はい、こういう映画は一回作って終わりということでは、中々活動としては不十分だと思います。やはり、ひとつ映画を作っていけば、また同じテーマで続けたい。題材はいっぱいある訳です、問題はいっぱいある訳です。たまたま、この映画は渡辺元君と高橋淳君というすばらしい2人の少年がこの1時間40分を作ってくれましたけれど、いろんなケースがあります。ですから、色々なケースをひとつひとつ紹介していくことが私たちの仕事ではないかなと思っています。

それで細川さんとご相談しまして、able2を今準備しております。それで何を舞台にしようかなとなったのですが、丁度今年は今言われたスペシャルオリンピックスの4年に1回の世界大会があります。今まではすべてアメリカで行われていたのですが、今回初めてアメリカを出てアイルランドという国で行われます。6月21日から29日まで、アイルランドのダブリンで。今年は4年前の150カ国から更に10カ国増えて160カ国、7千人のアスリートがダブリンで9日間過ごす訳です。日本からは、57名のアスリートが8種目に参加するのですが、その舞台を中心にして、障害という問題、福祉社会というもの、アイルランドではどういう形でそれに対応しているのかなど、そういうものを、やはり今回と同じ長さのドキュメンタリーにまとめようと思っています。

先月1ヶ月アイルランドでロケをしまして、来月もまた10日からまた1ヶ月間アイルランドに行って、今年の暮れには完成する予定です。劇場公開は恐らく来年の春以降になると思いますけれども、色んな形で皆様にご支援をお願いしたいと思いますので、この席をお借りして、宜しくお願い致します。

(会場より拍手)

<司会>
able2」でも募金をして頂きますと、映画の最後に名前を載せて頂けるのですね。

<小栗>
今回と同じ形で名前を載せさせて頂きます。是非、名前を載せて頂きたいと思いますので、宜しくお願いしたします。

<司会>
それでは、スペシャルオリンピックスの活動とアイルランド大会、そしてable2を是非応援させて頂きたいと思います。

本日はどうもありがとうございました。

(最後に、上智大学の売店からのプレゼント(大学のパーカー)を渡辺元君に贈呈。高橋淳君へも別途お送り致しました。)

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《「able」上映会を終えて

今回は、大勢の方に映画を見て頂くことが出来ました。

ご来場頂きました皆様、そしてこの上映会にご協力頂きました皆様に、心より御礼申し上げます。

また、細川様、小栗監督、渡辺元君、渡辺ジュンさんには、すばらしいスピーチをして頂きました。ありがとうございました。

尚、小栗監督のスピーチにありましたable2への寄付につきましては、会場にてもご案内のパンフレットをお配りしましたが、ソフィアンズクラブにもパンフレットを置いてございます。この機会に、クラブ、サークル、ゼミあるいは個人にて、ご寄付についてご検討いただければ幸いです。

(ソフィアンズクラブ問合せ先:Tel 03-3238-3075)

ASF2003実行委員会

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ALL SOPHIANS' FESTIVAL 2003